いめーじのなみもり

Koji Mizoiの日記帳。

インクルーシブとかタンタンとかのテラピーみたいな。

 雨が降ってて少し頭が重たい感じだった。重たいというか、空気が軽い感じがして、置き場のない感じでフラフラしてるけどそこにあって、安定しないみたいな感じで、それが痛いみたいな感じがしてたりする。台風がきてるのかなんなのか午前中は雨。窓は締め切ってるけど扇風機回さなくても過ごせる。太陽の日差しの熱がいつも部屋に溜まってるのだなと思う。蒸し蒸しはするが汗ばむほどでもない気温。昨日から、体に意識を置いてゴロゴロしてた。気づいたら寝てるのはさておき。動かしたいところを動かしたり、触れたり、つまんだり、さすったり、しばらく寝転びながら繰り返す。だるさみたいなのがあって、疲れが溜まってるのかもしれないし、そういう時期なのかもしれない。ちょっと一悶着というかあって、だけど仲直りした。感情に触れたので一旦出した。出さなくてもよかったのかもしれないけれど、その時は出そうと決めて出した。怖いと思われたり、破綻してると思われるかもしれないけど、出すことが必要なのだと思ったし、そうじゃない道があったらそうなれたらいいなとも思うけど、今はこれで良いのだとも思った。

 来週から展示が始まる。溝井孝司写真展「その日の花を摘む」ってタイトル。写真を額装してみたのだけど額装が完了するまでのコミュニケーションややりとりでいろいろあり、紆余曲折ありだったけどなんとかいい感じになった。展示するときのDMやポスターはいつもmiiさんが作ってくれる。これがあるのとないのではなんか全然違う。

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 展示は鎌倉のミサキドーナツで久しぶりにやる。展示やったことがなかった時に初めてやった場所。なんか改めてまた出来るのが嬉しい。

 昨日は図書館に行って火の鳥のDVDを借りた。最近、意識が広がってる感覚、宇宙の始まりとか、人類の始まりとかそういうのを感じたいみたいで今日は火の鳥見てた。異形編と未来編がけっこう好き。破壊されてまた始まるまでの時間とか、繰り返される歪みとか。それと借りた本がインクルーシブセラピーの本。けっこう前に教えてもらってなぜかすごく気に入ってずっと読んでた。実家から引っ越す時にあげちゃったのだが目に止まったので借りた。久々に読んで、ふとセラピーとか治療行為ってコミュニケーションなんだろうなと思った。やりとりがセラピー的であることとか、癒しであることとか、そういうことが浮かんだ。インクルーシブセラピーの話し方が僕は安心するのかもしれない。移り変わってしまう言葉や人格をどれもこれも許容してく姿勢みたいなのがあって、僕はそれを今も使っているのだと思う。その言葉遣いも生きていく術みたいなことだと思う。破滅に追い込まないための言葉、やりとり。医術者と患者に対してと思ってしまうが、自分自身に対してのやりとりなのだと思う。移り変わってしまう自分に対しての声かけ。どれもこれも肯定していく。裏を返せば否定しているのかもしれないが、だけども絶対的に肯定しながら、どれもこれも許容して行くみたいなこと。

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 昨日から土を裸足で踏みたい願望があったので今日は裸足で歩いてきた。水が冷たくて気持ちよい。ぬかるみも裸足だと包まれてるみたいに感じられる。木の根っこがイタ気持ちい。声が軽やかになってく。呼吸があって、心臓があって、血液がじんわり流れてくみたいな。

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 テニスコーツのタンタン・テラピーきた。むっちゃいい。心地よくてやっぱ好きやんね。そういえばマヤ暦を急に調べたくなって調べてた。古代キンっていうのがあるらしく、黄色い太陽、白い犬、音11やった。間違ってなければ。笑 普通のやつは赤い空歩く人、白い風、音12。どこかでやっぱり音楽があって、いつもやっぱり家族的な感覚があるみたいな。