いめーじのなみもり

Koji Mizoiの日記帳。

チャイと雨音、背中に当たる陽射し。

 雨が降っていて、降ったり止んだりしてチャイを作って玄関先で雨音を聞きながらぼーっとする。またおかわかめが生えてきてる。ユーカリも。昨日の晩御飯はカレーにした。ローソンで買ったスパイス効いてて野菜ごっそりみたいなやつ。ズッキーニとしめじとまいたけ炒めて乗せて食べた。美味しかった。そのあとにぼーっとした。1日オンラインで予定があって、いろんなことを話した。

 今日の朝は太陽が少し出ていて散歩をする。背中に太陽が当たるのが久しぶりな感じがして、暖かくて気持ち良かった。じわーっと背中に暖かい感覚が広がっていって、温泉入ってるようなそんな気持ちになる。セブンイレブンのレーズンパンが食べたかったので散歩がてら買いに行く。インスタントラーメンコーナーを横切ると魅力的なパッケージと目が合う。ブタメンである。しかもビックサイズである。地元にあっためちゃめちゃ不機嫌な奥様がやっているコンビニコスモスで毎日のように買って食べていたブタメン。しかも今回はビックサイズ。しかも残り一つ。一度通り過ぎたのだが、レーズンパン片手に結局ブタメンビックサイズを手にする。なんらかの健康を気にしたのだと思う。トロピカーナの鉄分のやつも一緒に買う。いや喉乾いてたのだと思う。トロピカーナ一本でブタメン相殺しようなんてそんなことしようとしていないのである。である。ブタメンたのしみ。

 無事に即興劇「やわらかなひかり」が終演した。その日のうちに舞台空間を作って、その日のうちに公演する。そのどちらもを1日でやったことがなかったのでどうなるかと思っていたが「舞台を作る過程を見て、その場にいれながら思いを巡らせて一緒に作ることができて良かった」的なことを言ってもらった気がする。なんというか展覧会を作ることや舞台を作ることをやっている時って、ものすごい集中してやっていて、一緒に作るmiiさんと黙々と時になんやかんやと言いながら作る。時間の許す限りやる。優しい場所だと「気が済むまでやってくれ」と言い鍵渡してくれるみたいなそんなこともあって(笑)だから開演までの3時間で作るっていうのはなかなかない経験で、その時間ってある種、全体が待ちの時間になるからはよ終わらせなーと思ってたけど、その時間も含めてその場に居合わせる人と作ってるんだって思ったらなんだかとても嬉しかった。

 1日しっかり寝て絵は平常運行。また描く。何かが外に現れて、また内側で描くみたいな。どれもこれも必要なのだろうなと思って、やっている最中のことはいつもよくわからなくなるけど、だけど結局やっぱり続けていることが、淡々と積み重ねていくことでしかないような気がする。そう考えるとそんなに難しいことじゃない。ただただやれば良いのだ。

 外側にある意識や感覚を閉ざせば良いというわけじゃなく、人の意識や感覚が外側にありながら、内側の、自分の意識や感覚をその場に現していく。内部が交わるわけじゃない。ただ外側で混じり合ってる。それも結局目には見えてないのかもしれない。空気とかそういうものが混ざって、時折風が吹いていって、その場の、空間を彩ったりしていく。それが混じり合っても良いし、ただ混沌と立ち込めていてもよい。どんな姿も許容される場所になったらいい。欲しかったのはどんな状態も許容しているその視点や眼差しだったりする。ひとつとして無駄な瞬間はなく、それがどんな状態であれ否定するに値しないことで、ただそこにあった事実が重なり続けて、そうやって劇空間が生まれて、そしてすぐにいなくなる。

 「やりとりの面白さを超えて詩のような、アートのような、自分もその中にいるようなすごくいい時間でした」とN子が伝えてくれた。自分の中から上手く言葉には出来ないけど、一緒にその場に居て、作ってくれた人から言われた言葉がとても嬉しかった。もっと言葉に出来たらと思いながら、だけどこのまま自分の中に寝かせておいて、これからまた育てていけばよいのだろうなとなんだか思った。

 さてさてー。この後はうみらのオーセンティック・ムーブメント。楽しみ。午後からは渡さんのワークいく予定。