いめーじのなみもり

Koji Mizoiの日記帳。

コナンは未来少年だったり、文明の利器は優しさに使ったり。

 なんかいろいろあった気がする。あった気がするのだけど何があったのかよくわからない。未来少年コナン一気見してた。宮崎駿の中にあるキャラクターたちに興味があって、その拡張して行く感じとか、育まれていってる感じが、宮崎駿はかなり優秀な俳優でもあるんじゃないかとか思ったりして、僕は小学4年生の時に夢はキャラクターデザイナーと書いていて、多分ファイナルファンタジー召喚獣とかドラクエのモンスターとかにはまってて、キャラクターが好きだったみたいなことなのかもしれないが、宮崎駿ブームがなんだか到来しているのは宮崎駿の中にある人物が無数に存在していて、どれも丁寧に細かく感じ取りながら生み出してて、今目の前で生きているような気持ちになり、だからその感じとる、観察する眼差しみたいなものに今ものすごく興味が湧いているのかもしれない。物語や構成みたいなところもあるかもだが、なんとなくいまはキャラクターなのだ。コナンに出てくるモンスリーの内面の移り変わりみたいなものがとても好きで、うおおおおおーとなるのが19話なのだが、全部神回なのだが僕的に特に神回であって、そこからモンスリーが何かを思い出しながら元に戻って行く感じがとてもよくてコナン二周目なのだがまた三周目あるだろうなと思う。何がともあれ19話のコナンとモンスリーが無言で向き合ってやりとりする瞬間がたまらねぇのである。

 晩御飯は冷やし中華を食べた。お昼は中華風のソーメンにした。温かいの。昨日は冷たい中華風のソーメンにした。miiさんが鯛の炊き込みご飯を炊いてくれたのがめちゃめちゃうまい。

 なんかいろんなことを演劇に結びつけようとしているところがあって、アニメもそうなんだろうなと思って、何者かがそこに現れるってなんだろうみたいなことに興味があって、その何者かが何遍も何遍も生きては死んで現れるみたいな、その輪廻転生を味わう瞬間が即興でやってる時な気がして、やってるときは無我夢中なのだが、それが楽しくて、もっと何かそこにある気がして、興味があってそこに結びつけてるようにも思ったりして、とはいえコナン一気見したので目がめちゃめちゃ疲れてた。目を瞑ってても疲れが取れなかったので、眼球を意識的に動かして、上見て、下見て、ぐるぐる。左見て、右見てぐるぐる。ピントを変えて、フォーカス変えて、ぐーるぐるみたいな感じでやってたらかなり疲れが取れ感じがした。画面ずっとみていると眼球固まってしまうのだなと思った。なので意識的に動かしてあげると、滞りが流れるような気がして、なんか眼球ってこんなに動くんだーみたいなことに感心してみたり、不思議な気持ちになりながら、いつのまにか眠っていた。

 夕方からうみらのオーセンティックムーヴメントがあって、今日は海外から参加している人がいて、基本英語でスタートした。なんでか昨日「ひとり旅はもう嫌だわ〜〜〜」みたいなことを話してて、なんか何年か前にカンボジアに行った時のことを思い出してて、すごく心細くていつまでも緊張が解けなかったことを思い出してた。現地で日本人の人もいたのだが、なんだかうまく心開けずにいて、英語も話せないし、何言ってるかわからなくて、そのことについて「ちゃんと勉強してこなかった自分が悪い」とか、なんでか徹底的に自分を罰し始めたりして、分からない場に自分を存在させることができなくて固まってしまうみたいなことがあって「だからひとり旅は嫌なのよ〜、ホームシックにすぐなるのよ〜」とか言うてたのだが、つまり緊張してることをいつまでも罰してしまう、打ち解けられない自分を罰してしまう「おいおい、社交的にやれよ、笑顔で振る舞えよ、言葉わからないんだからそれくらいやれよ、場の空気を壊すなよ」みたいな、そんなことを頭のなかで延々と言われるもんだから、そりゃ顔面蒼白で緊張もするよなと思うのである。そんなことを思い出しながら参加している時間だったのだが、参加者の人は日本語は話せない人だったのだけど、DeepL翻訳で翻訳した文章をチャットで送ってくれたり、その対応がとても素敵だなと思って、若干塞ぎ込んでた自分てへぺろみたいな気持ちになりつつも「文明の利器を優しさに使える人ってむちゃ素敵!」ってなんか思って、そんな風にやさしくなりたいと斉藤和義が僕を鼓舞するのでした。

 「緊張してる?」とか細かく聞いてもらっていても、その瞬間に気づけてない、言葉にならないことって多々あるなと思って、だけど身体的には現れていて、感覚としては浮上してて、表情や皮膚にも現れていて、そういうのを逐一見つけて、聞いてみて、言葉にして、気付いてく、知ってくみたいなことをしながら、内側の人格みたいなものがちょっとずつだけど広がったり、捉えられるようになってきて、そうやって無数のキャラクターみたいなものを育んで行くのかなとなんだか思った。それが明確に何になるのかわからないが、人間を知る、理解することに繋がる気がしてて、興味深いし、飽きないのだと思うた。

人から、体から風景が生じるみたいな。