いめーじのなみもり

Koji Mizoiの日記帳。

しっかりご飯作ると意欲湧く説。

 朝から今日は炊き込みご飯作ろ〜と思っていたので、余ってたごぼうと舞茸にこんにゃく入れてお米炊く。買ってあったかぼちゃもあったので煮物にした。煮物って味見ができないから濃すぎやしないかとドキドキするのだがいい感じにできて満足。作ってる途中でもらったじゃがいもあるのに気づいてハッシュドポテトにしてみた。細かく刻んで、水洗いして、水気を切ったら片栗粉と塩入れて混ぜてフライパンで焼くだけ。簡単なのにむちゃうまい。味噌汁の具材なににしようかなーと考えて、ズッキーニを一旦焼いてから味噌汁に入れた。そこにしそを刻んで入れてむちゃうまで、良い感じの晩御飯になって大満足。今日は炊き込みご飯とかぼちゃの煮物だけ作って簡単に〜とか思っていたのだが、作ってたら体が動き出して、料理しながらダンスしてるみたいな気持ちになって、体動かしたかったので一石二鳥な気がする。なんか最近暑さで冷たい麺類作ることが多かったのだが、久々にお米炊いたり、なんやかんや作ってたら、文章も書きたくなってきてなにがともあれ作りたいもの作ってるといろんなところが回りだして意欲でてくるのでありますね。

 ここ最近、都会から離れてる、離れようとしてるみたいな人がいて、興味深いなーと思ったりしてる。そんな僕も引っ越ししたいなーと思いながら、わりかし鎌倉に満足もしてて、いまいち引っ越しするまでの感覚に至らなかったのだが、なんとなく話聞いたりして自分の体が求めている土地に身を置こうとしてるみたいな印象を受けて、それってすごく素直な選択の仕方だなとなんだか思って、自分の体、皮膚もそうなのだが、内臓や器官が求めている土地ってあるのだろうなと思って、東京から鎌倉に引っ越して、一番に思ったのはとにかく空気がうまいってことで、電車から降りた時にとにかく「空気がウメェ〜〜帰ってきた〜」ってめちゃめちゃ安心したりして、そういう意味で僕って呼吸器系の感覚はすごく大切な気がする。いつも居心地の悪さとか、気分の悪さって、胸のあたりに出ることが多くて、喉のつまりというか、声が出なくなるというか、ざわざわぞわぞわした感覚が出てくる。そうやって胸元や喉元のあたりの感覚って現れることが多いから、呼吸ができるみたいなところ、空気がうまいと思える土地に身を置いてるってすごく大事なのだと思う。もしここの空気毎日吸って生きたい思ったらそこに身を置くことになるんだろうなって思って、あとは風通しの良さっていうか、皮膚、肌が心地よいってすごく大切で、そういう意味での服選びとか、着心地みたいなことも大切で、風の通り道がある家みたいなのもとても重要だと思った。

 3月、5月に演劇をして、その後すごく声をかけてもらうことが多くて、また観たいとか、目に焼き付いてるとか言ってもらって、なんか「ああ、そうなのか〜」みたいな気持ちになっていて、次はどうしようかなーと思ったりして、ちょっとずつだが次の企画に向けて動いてるのかもしれない。なんかひとまず衣装なんかがあるといいなーと思ったりしたんだけど、新しく作らなくてもmiiさんがお直しした服なんかがたくさんあって、日常使いだと生地が弱ってて着づらくなってるものが、舞台衣装みたいな感じならまだまだ使えるかもなみたいな気持ちになって、お昼に中華風の冷やしそうめん食べながらウキウキする。この前N子とも話したりしてて「この世のものじゃないような衣装とかおもしろいよね」みたいになって、あの世とこの世じゃないけど行ったり来たりするようなそんなことが出来たらいいなと思って、それでやるなら即興でやるのがやっぱりいいのかなと改めて思ったりして、自分たちが作る場所にふさわしいのは即興表現かもしれないねみたいに思えたりして、とはいえ少し脚本があったり、セリフがあるのももしかしたら面白いのかもしれないなと思いつつ、基本は即興の表現があって、なにか居心地よく、楽しく混ざりあえたらいいなみたいなそんな気持ちになってるのかもしれない。再来週はチェルフィッチュトークイベント行くことにしたので楽しみ。

 少しずつでいいんだろうなと思って、大きく動くことを期待するけど、それよりも存分に今あることを味わえるのが良いなと思って、自分のしていることが即興の表現であるからこそ、いやどんな表現であるにせよ、今あるものを存分に味わえることがとても大事なように思う。なにをしているにせよ、ひとつひとつのことを放置しないこと。

 イメージや感覚がすこしずつ現れ続けてて、それが残っている実感がなくて、だけどきっとどこかで時間は積み重なっているのだろうなと思って、積もっていくことで出会う感覚の変化みたいなものに出会って、それは積み重なってるというよりは実際にはどんどん身軽になって行くことのように思って、もっともっとのびのびと好きなように、自分の感覚を扱いたいとこれからも願い続けるだろうし、いつまでも終わらないし、死んでも続いて行くのだろうと思って、きっとそうやって死んでいった人たちからも何か受け取って、今こうして日々を記録しようとしてて、すぐ真面目になろうとするから、肩の力抜いてリラックスしようぜって優しく声をかけてあげるのを忘れないようにまた書いてたりする。

雨に洗い流されてる感じで気持ち良かった。