いめーじのなみもり

Koji Mizoiの日記帳。

2022/09/25

 なんだかまだ夜みたいな朝でそれでもなんか散歩していたのですが、家を出た途端にリスが慌てて動き出したりして、いやいやなんもせんがなと思いながらカメラを向けている僕はなんというか自分勝手のようにも思えて来たし、トンビがゆっくり旋回していて、なんでなのか蜂が多い気がして、とにもかくにも蜂が飛んでると体がこわばって、ビクッとなって緊張する。怖いと感じている。刺されたら死んでしまうと思っている、ものすごい痛みに襲われて皮膚が腫れ上がって大変なことになるとなんでか思っている。実際に刺されたことはない。ただ裏道を歩いてたら無数の蜂がいて、結構あちらも本気っぽくて一人でうわぁぁぁぁと言いながら逃げたことはある。多分去年だった気がする。そんなわけなので蜂は危ないものだ、危険だ、となんでかとても思い込んでいる。本当に危ないのかもしれないが、死を予感させるくらい怖いと思っているのは、子供の頃に蜂は危ない、危険だと言われてた気がして、それでいて黄色と黒の色味って危険を連想させる感じで、しっかりこれは危険なものだ!とある種一方的に察知するようになっているのだと思った。

 ここ数日なにがともあれ眠たい。水星逆行、秋分の日、新月間近などなどそういうことが重なってるらしい。そういうの大抵教えてもらって、ああなるほど!自分のせいじゃないのかってなったりしている。視点がすこし上がるのだと思う。気分の重たさに引っ張られて、気づいたら否定的な状況を自ら作り出していたりして、もっと世界は広いのだろうし、それでいて一つの小さな体で生きていて、それでも無数になんというか星はあるんですよねと思ったりして、それで昨日は泡沫と絶頂のワークショップでした。とっても良い時間だった。りゅーたくんのファシリテーションとても好きだなと思うし、所々の声かけが視座を変えてくれたり、高めてくれたり、それでいて現状のままで良いんだって許容できる。僕もコンタクトインプロって好きだなと思う。なんでか続けている。自律神経を行き来しているのかもしれない。なんというかそこにはプロセスがありながら、それでいて事実や素直さや、そういう状態があって、ダンスにもいろんなものがあるわけだが、どうしてそんなに動き出さなきゃらならないのか、動きはもう止まっていないか、それはもう決められた枠組みの中で存在しているだけではないか、そういう疑問のようなものを、それでいて動かないこと自体も一つのパターンだったりするのかもしれないのだが、それでも内分泌系は豊かに動き始めていて、その静止状態だからこそ噴出する感覚とかがあったりもして、なんというか、どっちでもいいんだなと思って、どっちにも自由に行き来できる視点や柔軟さ、それでいてやりたくないときはとことんやらないことに集中するし、やりたいときはやればいいし、そういう欲求を大切にしたいとなんだか改めて思った。

 言葉を交わす機会がとても増えている。どちらかといえばこんな風に一人でしゃべっていることが多かったのだが、最近は言葉そのもので音声でやりとりすることが増えた。そのせいもあってか眠いのかもしれない。音を聞いているから揺れていると思う。振動だから、その響きを聞いたり、放ったりして、そういうことを繰り返すってなんてエネルギーを使うんだろうってとても思う。絵を描いたり、こうやって書くことで消化されるもの、それで満足できるものもあって、言葉よりも身体的なコミュニケーションを求めることもやっぱりあるのだが、それでもどうしてか言葉を使ってやりとりをすることにいつだって挫けてもチャレンジしてしまうのは人間の常なのだろうか。言葉を交わすことその交流が嬉しいのかもしれないし、そこで感じるあらゆる感覚を、それが快であれ不快であれ、どちらも体験することを求めていて、それでいてその交流できている時の絶頂は心地よいのだろうし、それは他者との言葉のやりとりもあるのかもしれないし、自分とのそのコミュニケーションで至ることもあるのだと思う。

 木曜日ムリウイさんとの打ち合わせ。即興についての話になり、なんだかわからないなりに言葉を交わしていた。場を作ることそこで即興の演劇をすること。様々視点があるにせよ、自分たちで決めて行くことがとても大切なように思えた。即興だからこそ準備や言葉を交わした数、場の設定みたいなものはすごく重要な気がしている。地味な部分で表立たないところではあるが、自分でやるならすごく大事にしたいことだ。付け焼き刃な表現形態ではなく、たくさんやりとりをしながら作って行くことがすごく大切だと思う。ミゾイキカク案件に関していつも夏子とmiiさんに空間を作ってもらうのはそこが自由であるという場の設定を作るためだと思う。もしかしたら僕がその空間に安心しているのかもしれない。それでいてそこに身を置くことが好きなのだ。そこだから僕は自由になるのかもしれない。人見知りや海外行ってもすぐにホームシックになるわけで、ましてや人前で何かするなんて怖いと思うのは相変わらずで、そういうことを隠したり、平静を装うことはそれなりにして来たが、それでもやっぱりいつも不安だったから、自分の好きな空間に僕は身を置きたいし、そこなら不安であることもまた素直にその場に差し出すことができるように思った。

そういえば昨日の帰りエスカレーターの手すりに鳩が止まってた。あれなんで動かないで止まってられるのだろう。