いめーじのなみもり

Koji Mizoiの日記帳。

2022/11/02

 東中野にある驢馬駱駝さんに12月にあるデカルコマニーの下見。即興とダンス音楽などで作る舞台みたいな感じかしら。驢馬駱駝さんすごく久しぶりに行ったのだけど、素敵な空間だった。螺旋階段ができてた。屋上まで繋がっているらしい。何年か前にウンゲツィーファのさなぎを見に行って以来で、その時ってこんなに活動していなかったから、あの時見ていた場所に、自分が身を置いて、作っていくのかーと思うととても嬉しい気持ちになった。その場の表現だけじゃなくやっぱり空間も少しだけ手を加えたいなと思った。

 下見が終わってからオペラシティでやってる川内倫子さんの展覧会へ。新宿駅から歩いて行った。久々に歩く都会はなんだか殺伐としながら、ビルが鬱蒼としてた。だけどコンビニとかの接客の対応って東京のが丁寧な気がする。数年前まで当たり前のように歩いていた場所が少し不思議な、だけど見覚えのある場所だったりして、いろんな記憶が蘇ってくる。一ヶ月だけ働いた営業の会社。確か西新宿にあった。特にしたい仕事だったわけじゃないのだが、正社員にならなきゃと思って働いてみたらやっぱり続かなかった。成績は案外よくて最初の一ヶ月と言っても、この一ヶ月だけだが、たしか5件くらい案件取れて、なんかホームページ制作の営業だったのだけど、ボーナスみたいなのも多少なりとも入った記憶がある。ただ、社内の空気が悪すぎて重たすぎて、1ヶ月も経たないうちにとにかく眠気と緊張がひどすぎて、続かないなと思った。ある日、急に上司的な人に呼び出されて怒鳴り散らされて、体調的にも続けらんないなーと思ってたのですぐにやめた。やめたら雪崩のようにやめてく人がいて、感謝された記憶がある。よくぞやめてくれたみたいな。ホームページは5年間のリース契約みたいな感じで、つまり5年間は料金が発生し続けるらしいのだが、あんまりもはや詳しくないのだが、つまり会社がなくなっても、ホームページがなくなっても、料金は発生し続ける仕組みで、怪しいなとは思って、だいたいなんでよくわからずに入ったのだろうと思うのだが、とにかく正社員にならなきゃとなんでか必死だったのだけど、結局その会社は数年後潰れたみたいで、詐欺だなんだと書かれていた。本当にそうだと思う。

 よくオペラシティの前を自転車で通過していたのを思い出した。新宿とか原宿に行くときに自転車で通過してた。斜め前の吉野家を見て思い出した。一人暮らしと言っても誰かと住んでたりしていたことがほとんどで、純粋に一人暮らしをしたのは高円寺から20分くらい歩いたところにあるアパートでもはや野方とかそっちの方なんけど、風呂場に虫が大量発生して嫌になって、確かそこからだったかそのあと転がり込んだルームシェアしてた目白のマンションからだったかで、兎にも角にも自転車でよく通ってたところにオペラシティがあるんだと思った。当時はそういうものに興味が向かなかったというか、そんなことよりもぐちゃぐちゃした感情が重たくのしかかっていて、自分は何がしたくて、何がしたくなくて、何が好きで何嫌いなのかもよくわからなくて、とにかく苦しかった。週5でラーメン二郎とか家系ラーメン食べててかなり太った。体が重たかったので、派遣で働いてた家電量販店の休憩中に飲んでいたおそらく糖分たっぷりであろうコーラフロートをやめて、水生活にしたら体がすごくすっきりしてきて、ああこっちのが気持ち良いなーと思ったのを覚えてる。でもラーメンは好きだったからよく食べてた。いまも結構食べる。当時、東京に居場所を見つけられなくて、よくカフェに駆け込んでた。小さなテーブル一つの空間に身を寄せて、コーヒーを飲んで、はぁっとため息をついて、ノートや手帳、本を出して、そのまま本の世界に没頭するのが好きだった。そうといっても当時は自己啓発本ばっかり読んでた。とにかく自分を変えたかったんだと思う。辛かったし苦しかった。

 東京に行くとそういう20代のころの苦しかった記憶が蘇ってきたりする。希望を持てずにずっといた気がするが、それなのに変に前向きになって夢を見つけたとか行ってカンボジアに行ったりするわけですが、いっときのテンションはすぐに転げ落ちて、そのまま体調崩して1日入院、早く日本に帰りたくて、ホームシックになって帰国。だけどカンボジアに行ったおかげで今織物してたりする。だからあの時の謎のテンションも捨てたもんじゃない。だけど当時の人間関係の築き方は本当にたくさんの人に迷惑をかけていたんだろうなと時折思う。話を聞いてもらっては聞き方が悪いとか、体調が悪化したとか直接は言わないまでも文句言ってた気がする。そういう意味で本当に態度の悪い、性格の悪い人間だが、それでもなんだか必死で、多分遅れてきた思春期みたいなものだったりするのだとおもう。僕はほとんど反抗期みたいなものがなかった気がする。ある意味では扱いやすいし、いい子だったのだと思うが、その当時の抱えてた苦しみはいつまでも抱え続けなくてはならなくて、そういう行き場のない感情や衝動みたいなものをどう扱ったらいいかわからず、どうしようもできずに投げつけていたんだと思う。

 それでもそういう自分を否定しなくなったというか、そういうどうしようもなかった部分があることを許せるようになった気がする。生きるために必死だったんだと思うと、そういう自分を幾度も抱きしめて大好きだよって言ってあげたりするのだ。

展覧会のこと書こうと思ってたのだけどね。