いめーじのなみもり

Koji Mizoiの日記帳。

2022/11/09

 皆既月蝕とやらがありまして、急に眠くて昼寝したりしたのですが、起きて散歩して海に行ったら人はパラパラいたものの夏の強い日差しとか、なんかギラギラした空気というよりは、もう少し静寂があるような、なんだか波も夏よりいくらか静かというか、そんな感じがして、振り向いたら月がすんごく大きくて、うわうわーとか思いながら写真撮ったりして、若干調子悪くなってるカメラをなんとか復旧しつつ、夜は皆既月蝕見ようと思って外に繰り出す。1時間くらい外で見て、ちょうど月と重なった段階でお腹が空いて、家に戻って牛丼の残り汁で卵かけご飯して、砂抜きしたあさりですまし汁作って紫蘇刻んで乗せた。部屋の窓開けたら見えることがわかり、なんだ寒い思いして上を見上げなくても、寝っ転がればバッチリ見えるじゃーねかってなって、床暖房入れて、布団かけて、なぜかmiiさんに敷布団をかけられたのだが、重みと温かみが抜群で、もはや敷布団かけたほうが冬乗り越えられるんじゃねーかと思いながら、部屋の灯りも消して寝転がって見てたのですが、なんだかだんだん眠気に襲われて、うつろうつろしながら空を見上げて、月たちが移動するスピードにあわわせて、窓辺に寄ったり、頭の位置変えたりしながらうつろうつろしていた。

 本当にぐっすり眠ったというか、やべえお風呂入らねばーなんて思ってなんとか体を起こせたのが23時ごろだったのだが、いつも寝てると思考を感じたりして、ぐっすりまでいかないのだけど、久しぶりにぐっすりの領域までたどり着いて、なんか死んでたみたいだなぁーと思って、なんかその影響力というか、やっぱり星とか地面の影響ってあるよなーなんて思うのだ。

 あなたは宇宙に行って戻ってきた。嬉しいような悲しいような、どうしたらいいかわからない感情だった。祈りについて考えたし、そのことについて考えざるを得なかったのかもしれない。それが当たり前にある場所だったし、それを受け入れることもまた難しかった。だから祈るなんてことはしなかったし、誰に向かって祈ってるのかよくわからなかったからやらなかった。普段はそんな風にやらないのに、いざ緊張した場面になると、どうか力をくださいとかそんなふうに神頼みしている。なんだかすごく恥ずかしかったし、だけどそれぐらい追い詰められていたのかもしれないし、じゃあいったい誰に対して祈っていたのだろう。結果につながらないことに、緊張が解けないことに怒ったり、現実は何も変わらないじゃないかと神を冒涜したりするのだろうか。だけど実際になにかを感じていたし、そこにある奇跡みたいな瞬間に出会っていたりして、例えば鼻の穴に蝶々が紛れ込んできたりするあの自転車に乗っていた時のことだったりとか、どこかの路地で何かその啓示というか、何かを悟った瞬間のその感覚みたいなものの名残みたいなものが、何を悟ったのかは覚えてないのに、それが悟りだったのかすらわからないのに、だけどなんらかの実感みたいなものは記憶していたりして、そうやって君は戻ってきたのかもしれない。決別というわではないのだと思う。ただ少し神格化しすぎていたり、特別に仕立てあげていたのかもしれない。そういうことがあるんだと思う。想像していたことと実際は違ったり、体は欲していなかったりする。機嫌が悪いわけじゃない。情に訴えかけたい訳でもない。ただ勘違いしていて、祈ることに憧れていたのかもしれないし、だけどきっとどこに向かっても祈らないんだと思う。きっとあの時、祈っていたのはそこにいる自分への励ましだったような気がするし、きっと神聖な場所で手を合わせなくても、神様は意地悪したりはしないと思う。バチが当たるんだとしたら、それすらも受け入れたらいいんだと思うし、そんなことはないんだと思う。だけどバチが当たるようなことはしないほうがいいと思う。自分の機嫌が悪くなるようなことはしないほうがいいんだと思う。私は神だってニジンスキーが言うことを知っているし、そうだったんだと思うし、きっと私は神なんだと思う。あなたも私も。

 一致する瞬間を見たときに、本当に細かく細かく、繊細に繊細に感じて、その瞬間に出会うのだろうなと思った。それは自分自身と世界と意識との一致なんだろうし、その瞬間というものが、ひとつひとつあって、そこにどうやって出会うかというのはいつも、いつでもまなざしというものが必要なんだろうなと思う。誰も邪魔したりしないし、きっかけはいつもすぐそこにあるんだと思う。距離を置かなきゃいけないこともないし、かといって近寄ることもない。すべての中で一致するその時があるんだと思うし、そのことにいつもワクワクしたり、楽しみにしていたりする。そのために言葉を交わしたり、交わさなかったりするし、体を動かしてみたり、立ち止まったりする。いつもどこにいったって自由な感覚を得ることができるし、いつもどこにいたって満たされた意識に焦点を合わせることもできるんだと思う。それでいてすぐに転がってしまって、あたふたとしているそんな時間もまた愛おしいんだと思うし、動きたくない犬は信号が変わってもずっと寝そべったままだから飼い主は引っ張ろうとするけど、結局一緒に立ち止まるんだと思う。

フレッシュなサラダを食べよう週間です。