いめーじのなみもり

Koji Mizoiの日記帳。

2020/05/04 no11

 今日の晩御飯は鮭のホイル焼きにしたー。これ簡単だし本当美味しい。ほうれん草入れたかったので入れた。味噌汁はなめことオクラ入れた。ヌメヌメ。

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 今日はもらったアロマオイル使い切ってしまったので買い足した。ティートゥリーとオレンジ。頼んでたdavinesのオーセンティックオイルも届いた。全身使えるやつ。自然な香りでいい感じ。ちょっとウッディな感じかなー。お風呂上がりに使う。楽しみ。

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 「ハッピーエンドの恋愛小説。そうじゃなくても喜怒哀楽が感情が動くものを教えて」って投稿してる友達がいてなんでかサガンの「悲しみよこんにちは」が思い浮かんで薦めてみた。そしたら自分がむしろ読みたくなって読んでた。僕は哲学書みたいな本を好んで買う時があるが、結局文章を読めているのかといえばまったく読めていない。ベルクソンを読むセシルの態度に共感するところがある。ベルクソンとかドゥルーズフーコーを読んでみようと思って、結局途中でやめてしまう。ただなんだか反応する言葉がある。意味とかはそんなにわからない。体は反応している。だからそれを読んでいる。聞いているのかもしれない。体に付着している、言葉、もしくは記憶のようなもの。意味がわかったことはないと思うけど、何か知っているようには思える。だけど読めた試しがない。

 ああ、結局自分は空っぽで中身がないんだろうなと思うがそれでいいのだろうなとも思う。軟体動物みたいな、溶けてしまうくらいの感覚。誰にでもなれる。境界があいまいになる。それも一つの能力なのかもしれないし、だけどあまり踏み込まないことも大切のように思える。人の課題をまるで自分ごとのように捉えてしまう。自分の問題のように苦しくなったり、自分がいけなくて、自分の責任だと思い込み始める。深刻になる。実際そんなこともないのだ。だけど自分がないから自分のように思えてしまうのかもしれない。そのうちイライラしてきて八つ当たりする。自分が勝手にやったのにとまた自己嫌悪する。問題を解決する能力の無さに、伝える力の無さにイライラし始める。だけどこれも自分の責任ではなく、気づくか気づかないかも相手次第で、自分が勝手に溜め込んで、抱え込んでいるだけで、それを共に喜び合えるのならいいが、そうではなく怒られたりすると、もう言葉を失ってしまう。黙り込みということは自分の役割がないということらしい。饒舌に語らせてくれる場所が必要なのだ。自分がご機嫌でいれること、世界の中心でいれること、褒められること。違和感、退屈を感じたら即座に席を立つこと。そういう意味で即興芝居の間はやけに饒舌になれたりすることがある。それもひとつの役割を活かせる場所なのかもしれない。

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 Colleen本当好きだなー。ハマってる。聴きながら絵を描くこと多いです。

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