いめーじのなみもり

Koji Mizoiの日記帳。

2023/03/20

 ここ数日切り貼りして絵を描いている。コラージュなんだと思う。手の感覚を養うことを考えた時に、好きに素材を破いたり、ちぎったりすること、糊を手につけてつけるとかそういうことが感覚的な喜びに繋がるなとなんだか思て、やってみたらとても良い感じがしている。何か意識的に形を作るわけではないのだけど、たまたまあったものを貼ってみることで少し浮かび上がるような感覚も視覚的に喜びがあったりして、はっきりしなかった平面が、少し立体的に動き始めるようなそういう効果があるような気がして面白いし、見ていて嬉しい。多分絵が描ける人はそういうものを描くんだと思うのだが、そういう技術的な部分に至らないというか、どちらかというと絵画というよりは工作に近いのかもしれず、それでも自分的には絵を描いていると思うのだから、それはそれで良いのではないか、なんて思うのだが、もちろん自信満々にはなれず、こんなんで良いのだろうかみたいなそういう申し訳なさが、全くもって謎の申し訳ないが浮上してきたりするのだけど、まあそういうことは気にせずに楽しい回路を見つけてやっていけたら良いんじゃないかと思っている。

 今月に入って振付のある踊りをしているのだけど、基本的に即興表現しかやってこなかったし、それを好んでいたからそうしたのだけど、どこかで何かを覚えてやることはできないとかそういう苦手意識みたいなものを持っていて避けながらやっているような感じもあって、だから飛び込んだってわけじゃないのだど、たまたま振付のある連続のワークショップだったという感じで、それでも落ち着いた気持ちでいれる場なので行っているのだけど、当初はかなり否定的な声が頭の中から聞こえてきて、結構根深いんだなーと思ったりした。振付があるのである種の正解みたいなもの、正しさを求められるような感覚になり、なんだか小学校の時のプール、鉄棒、縄跳びなどなど苦手な運動が多かったので、そういうできないことを強制的にやらされる感覚や、ましてやそれを見定められ値踏みされる、成績をつけられることが、とても絶望的でいたたまれないみたいなそんな気持ちがあることに改めて気付き、完全にそういう視点がなくなったわけではないのかもしれないが、なんだか楽しいところが見つけられていることがとても良いことな気がして、評価や形を優先するというより、それは諦めてるわけじゃなく、今やってることは否定的な声が出てきやすかったり、体が動かなくなるくらい緊張しやすいことなんだと認識して、できたところを少しずつでも自分で見つけたり褒めたり、励ましたりしながらできること、もちろん場を作っているsoraの伊藤さんの励ましなんかもありながら、苦手意識のあることから楽しさや喜びを抽出できるようになってきたのとても健康になってきてる気がする。なんというかイヤイヤ期のまま遠ざけてるのと、冷静に評価できる自分としてやるやらないを選択できることはだいぶ違うことのように思うのだ。イヤイヤ期のまま遠ざけてること、それは結局外からの視点、評価だったりするのだが、それらを気にしすぎてやらないまま、いつまでも放置されてる事柄がとても多いように思う。評価や、判断をすることをやめてほしいと言ったところでなくならないものであるような気がするのだが、そもそもの部分はきっとその評価を自分自身が受け入れてしまうことにあって、つまるところ誰もぼくの出来ないと感じてる部分を見て、君は生きる価値がない、踊る価値や、創作する価値がないなんて言わないし、むしろみんな優しいので褒めてくれたり、しっかり作品を見てくれる人ばかりなのだが、結局、幻聴みたいなもので、誰も口に出していないこと、言ってないことを勝手に頭の中で響かせて言われてるような気になってるというだけなのである。つまりそういういじめをしてるのは自分だってことなのだが。

 僕の中にいるいじめっ子も僕のことをいじめたいわけじゃなく、致し方なくそうしているのだと思うのだが、それを好き勝手にやらせとくわけではなく、何処かのタイミングで僕はしっかりそういうことをする人に対してしっかりと怒って、もうやめろと伝えた体験があった気がする。だいだいそういうの外側に現れるので、自分の感情をそのまま吐露したり、時にはやりすぎじゃね?ってくらい感情出してしまったりもしたのだど、そういう失敗を繰り返して、なんだかだいぶ穏やかに世界を見渡せるようになってきてると思うのだ。それでいじめっ子とやらはきっと焦ってたり、頑張らなくちゃいけない、成果を出さなくては、出来なきゃいけないとか、そういうプレッシャーに苛まれてるような気がして、なんだかそうやって過ごした子供時代を徹底して癒していく方が良いだろうし、そういう戦いから降りていくことはいつだって意識をしないとまた元どおりだったりするから、最近口の中に口内炎できたり、よく噛んでしまったりするので、美味しご飯ゆっくりよく噛んで食べて、お風呂でゆっくりして、早く寝て、自分のこと、生活を大事にしていけたらよいなと思うのでした。

湯河原にはまっている。