いめーじのなみもり

Koji Mizoiの日記帳。

2022/11/12

 わりかしスッキリとした感覚で目がさめる。ここ数日寝る時間が遅くなってたので、今日はゆっくり寝てから起きた。体は軽い感じがして、ストレッチが効いてる気がする。なんでもそうだが近道はなくて、ほんと日々続けること、ただそれだけな気がして、続けるにしてもいろんな思考が駆け巡ったりするのだが、そういうことはさておいて、何がともあれ、体が嬉しいか、喜んでいるか、そういうことが大切だから、めんどくさいとか、やる気ないとか、意味ないとか、そういう声はさておいて、心地よさの方へ委ねてくこと、信頼関係ってとっても良いなと思うのでした。そんなわけなので、洗濯物を回してる間に、昨日の残っていた味噌汁を飲んだ。大根が程よい食感でうまい。体も温まる。洗濯物を干して、珈琲を淹れた。ゆっくりとした時間を過ごす。とにかくゆっくり淹れるんだと、大坊さんが言ってたので、せかせかした時間から離れていこうとする。散歩するときもそうだが、最初はなんかすごくせかせかした速度で歩き始める。それはもしかしたら世界から抜け出す助走みたいなものかもしれなくて、だんだんと今の体のペースに戻る。それはすごくゆっくりゆっくりなペースではあるのだけど、すごく豊かであるように思う。それで時折、その社会の速度みたいなものに合わせて、かいくぐってくみたいなこともする。だけど呼吸は忘れないで、今のその体の速度と、呼吸との速度の違いを味わってみたりする。そんな時間を楽しんでいた。珈琲が入ったので、昨日の残っていたドーナツと珈琲とをにおぼんに乗せる。そんなわけで絵を描き始める。

 寝る前にmiiさんと話をしていて、結局イベントごとってこだわりがある人は赤字になることがほとんどな気がして、だからそこで黒字にするんだって躍起になる必要ないかもねーって話をしていた。他のことでやればいい。だからこそとことん好きにやりたいこと出来る気がした。せっかくの好きなことやるイベントなのに資本主義持ち込んだら元も子もない。じゃあ他にどんなことでお金動かしてくのが良いだろうみたいなことを話していたはずなのだが、あなたは歌うのがいいよ〜と、とても朗らかに言われた。あとマッサージとか言われた。後半の事務とかはあまり興味がなかったので聞き流した。なんの話だったけ。そうそうなのでやっぱり歌いなさいよーと言われるので、やっぱり歌うことは大切だなーと思って、当初の話とはまったく関係ないところに着地したりするんですけど、結局、人間的なその側面の、やりくりどうしようかみたいなのって、いわゆる表層に浮かんでいる、そういう心配とか不安とかを少ない意識状態の中で話していたりして、だからそういうところから、結局ウキッとしたり、ワクッとしたりするのは歌いなさいよーとかだったりして、それでいいんだろうなーと思う。真面目すぎるとそれは腐乱死体の香りがするって、誰かがそんなようなこと言ってた。うろ覚えだけどそうだと思う。真面目さって社会から生まれるものだと思う。そこから離れた場所で、それってつまり自分自身の心の動きとか、フワーッと広がる意識のことだと思うのだけど、そういうものが真面目さから埋れてくってことはあるんだと思うので、なので結局真面目に何かしようとするよりは、身体的なその羅針盤にそって動くことはとても重要だと思うのです。ある意味でそのことにめちゃめちゃ真剣だったり、真面目で、愚直なのかもしれない。社会のその正しさとか、道徳的なことにはそんなに真面目にならなくてもいいのだと思うし、自分のその体の動きともっと付き合っていきたいと思うのだと思う。そんな意味で、ここ数年本当に変わってきたように思うし、もっと出来るんだろうなって思う。思考や意識に気づいて設定していくことも大切だし、体自体を豊かに変えていく、そういう変遷を味わうことはとても楽しいことだと思う。

 今日はこれからダンスのリハーサルがあるので茅ヶ崎に行く。ここに至るまでにいろんなことが起きているのだけど、そんな中に自分の今のテーマみたいなものがある気がしている。全体にもあるのだけど、個人的な命題みたいなもの。このまえ"あとさき"って言葉が浮かんで、それって最近の僕の周りの人たちの、その周りにいた命がなくなっていくみたいなことが続いて、それでもその人たちの人生は続いて行くし、それでいてなくなったその者たちの生命も続いて行くのだと思って、その終わったり始まったりすること、それももしかしたら人間的な解釈であるようにもふと思うのだが、そういう、つらなり、みたいなもの、無くなったその前と後。いつもそこにある一瞬一瞬をなにか感じたいというか、味わいたいし、それが今の僕の中にあるテーマみたいなものなのかもしれない。そういう意味で、やっぱり祈ることについて考えるというか、手を合わせるとか、神社に行くとか、神棚にとかというより、存在として、声として体として祈ることが今僕には大切なことだと思う。

"忘れられたものたちのダンスは続いてる"寺尾紗穂さんの歌詞が浮かんだ。写真は川内倫子さんの展覧会の時の。好きだった場所。