いめーじのなみもり

Koji Mizoiの日記帳。

2021/03/14 no27

 久々にブログ書くことにしたのですが、昨日退屈だ退屈だと騒いでいたら「なんか書いたら?」と冷静に突っ込まれたからで、そりゃそうかと思いながら今日は書いてみることにした。最近、落ち込みづらくなったなと思う。嫌な出来事とか減ったわけじゃない。ただ出来事に対する捉え方とか、初期衝動的な怒りとか嫌悪みたいなものを否定しなくなったからな気がする。不快さもあっていいし、だけど心地よい方がいいから、不快さがあると知ったら、どうしたいかを逐一自分で会議して、つまり呼吸して自分と一緒にいるみたいなそんなことをしている。絵は相変わらず描き続けているけど、最近また演劇に興味が向いてる。演劇の中の言葉とか、リアルさを感じる誇張みたいな。そういうことが興味の関心で、物を見立てることとかそんなことが面白いと感じるのかもしれない。ただその場にいたいのか、それとも全体を見たいのか、そのどちらもある気がして、その辺はまだよくわかっていない。演劇と体、肉体の関係みたいな。流れ、揺らぎ、血液、循環、そういうことが口から発せられる音声とか絵を描くとき、あるいは動きの中にあって、それらの行為そのものが肉体であり、骨であり、血液で、内臓で、体そのものの現れみたいに最近思っている。

 朝ふとyoutubeに作った映像をあげたくなってあげてみた。

www.youtube.com

 

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 撮ってあった写真とか、動画とか、音楽、音声を適当に貼り付けて繋げてみたもの。イメージなのかもしれないし、「vaque」とタイトルつけたのはフランス映画の影響だと思うし、それが曖昧さとか波を表す文字だったから気に入った。編集、取りまとめるということをあまりしないでここまできたので、珍しく作りっぱなし、溜まっている収集物をくっつけたり剥がしたりして出来たのはなんだかよかった気がする。結構前のだけど気に入ってる。なんとなく音楽作るとしたらこういう感じのもの作ってみたいみたいな本当に最初の最初の部分がある気もする。とはいえ、こんな風にまとめることをこれからもしようとするのかわからない。目が覚めたら真っ白になって、そこに絵を描いたりするだけなのかもしれないし、ただ興味が出たとき、やりたいとき、それがその場でやれるときはただちにやれてるのでそれはそれで良いところな気がしてる。

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 昨日ふとやりたいと思ったことがあって、体の一部にフォーカスしてそこから物語ること、しゃべること。それは脳みそがしゃべるというより、その体の部位が語り出すこと。それは書くというより、口でしゃべるみたいなことをやってみたくなって、雨が止んでからパン買いに行くことにして、その道すがらやってた。体の部位から空間が広がって、そこに遠い遠い記憶とか、イメージとか、その波があって、それらを形に現してみるみたいなそんなことをしたいと思ったのでした。

おわり