いめーじのなみもり

Koji Mizoiの日記帳。

女の子との会話と人見知り云々。

 「ねえ、元気?」と近づいてきた女の子がいて「うん。元気だよ、調子どう?」って聞いたら「うんいい感じだよ」って言いながら歩いてった。ずいぶん人見知りしない子だなと思いながら、なんか待ち合わせ場所にお互いピッタリ到着みたいなタイミングで面白かった。夜風に当たろうと思ったら、あまり風は吹いていなかったんだけど、程よい距離感で交わした少しのやりとりが心地よくて、風通しの良い体になってまた戻ってくみたいなそんな日。

 朝起きて書こうかと思って書き始めて、ほしたらコーヒー飲みたくなったので買いに行って、起きた時は雨が降ってたから洗濯やめたんけど、止んできて少し日差しが出たので洗濯をしてとか色々やってたら、書くこととは遠くなって一旦やめたのだけど、なんか改めて書き始めてる。なんか何回も最初から書くみたいなことをしてたなーって思い出して、一旦書いたものを全部消して、また新しく辿りながら書くみたいなことをよくしていた気がして、それってすごく無駄じゃない?ところどころ修正したらええんちゃうん?みたいな考えも出てきたんけど、なんかそうやって一度書いたものを全部無くして、もう一度似たような場所を辿っていく時にまた違うものが現れたりして、それって知ってることをなぞってるだけなのか?って思ったりもするのだけど、そうやって何度もなんども繰り返しながら、行ったり来たりしながら何かが創造されていくんだろうなって思う。手を止めてしまったら何も生まれないけど、手が止まっている時だって体の中で創造は続いてて、ただ熟す期間とか、排泄するまでの準備みたいなものが必要で、何でもかんでも出したからうまくいったりするわけでもないのだから、いちいち一喜一憂したり、それ自体を評価して嫌になったりする必要ってあまりない気がして、だったら昼寝したり、リラックスできるようにしたりして、脇に置いておける余裕とか、何でもかんでも今すぐに欲しいって躍起にならなくて良いのだから、いつだって安心して待っていたらいいんだと思った。

 初対面の人が多くて人見知りしそうになる。人見知りと言ってる状態は「ああ、あの人もこの人もきっと自分よりすごい人で、自分のこと見たら大したことねーやつだなって思われるんじゃないか、どうしよう云々」とか「あああ、初めましてだから挨拶しなきゃ、声かけなきゃ、だけどたどたどしくなったら嫌だな、やばいやつだと思われないかな云々」ってなったりして、脳内大忙しだったりするのですが、いやいやちょっと待てとなって、そんなに慌てなくて良いから目を閉じて呼吸しようと思って、落ち着いてみて、その場所とか空間とか気候とか声とか音楽とか電球とか、いろんなものがあるなと思って、ひとつひとつと一緒にいようと思ったら少し落ち着けて「いや、初対面の人が一人二人ならまだしも、それ以上になるとキャパオーバーだし、目の前でやりとりする機会が現れたら話したり、伝えられたらいいか」って思って、その場にいる全員と細かくやりとりできたらいいが、そういうわけにもいかないのだから、ただ眼差しは持つというか、無視はしないというか、一緒にその場にいることは見えてる、存在してるってことがわかってたらいいのかなと思う。雑談がしたいわけでもないから、無理に明るい人を装わなくて良いし、ましてや何十人もいるその場の一人一人としっかり関わるってすごく大変なことなのだから、個別で交わるタイミングがきたらその時はともに楽しく交われば良いかーと思うのでした。

「子供って必要な時に現れて、そうじゃない時サーっといなくなるよね」みたいなことをEが言ってて、なんか確かになーと思って、そういう意味では何かの使いみたいなもので、それで天使かみたいな、天使って小さな子供のような人がモチーフになってること多いよなってなんだか思って、まあそんなに天使に詳しくないんだけど、そんなイメージがある。人見知りせず楽しんでたから、全然人見知りしない子供が遊びにきたのかもです。はい。

 いろいろ試してみて現状ヴィファール水彩紙(細目)に戻ってきてる今日この頃。しばらくスケッチブックに線を引くみたいなので割と満足してて、絵の具とか使ってなかったのだが、何日かぶりに使ったら楽しかった。一つ前に買った紙が絵の具を使うと感覚的にいまいちで、それは視覚的な喜びというか、身体的な楽しさみたいなものがあまり感じられず、紙によってこんなに変わるのかとなんだか面白かった。だけどコラージュしてく感じには合ってる紙のように思った。ひとまず定番の紙みたいなものがあるんだなと思って、アルシュ紙とかトルション紙とかも描いてて身体に合ってる感じがしてる。ブロックタイプを剥がすのも作業としてなんか楽しくて、そのためにブロックのやつ買ってることもあって、自分の体に合う画材を見つけてくのも一つ楽しみだったりするよなーと思った。いつだって自分の体が知っているんだと思う。合わないものを取り入れて、合うように頑張って強制する必要はなくて、体が知ってることを信頼できてることへの信頼が自分を自由にさせてくれたり、安心させてくれるんだと思った。

 ブオリのかき氷めちゃうまかった。念願の白いんげん。バニラ添えてもらった。