いめーじのなみもり

Koji Mizoiの日記帳。

ふとした時に行ける場所とかワンタン独り占めとか。

 冷蔵庫で冷えた大根を背中に当てたら気持ちが良かった。なんでもかんでも冷たいものを探したりする。扉のひやっとした感じとか、風が吹くこととか、結局冷房が効いている場所に駆け込んだりするのだが、つけめん食べた後のかき氷は格別だったりして、食べながらちょっとした話をして、なんでもない話だったりするのだが、今自分がどんなところにいるのかみたいなことが見えてきたり、ちょっとだけ気兼ねなく会話できる感じに安心したり、お腹だけじゃなく、安心感みたいなもので満たされたりそういうことがあるよなってなんだか思った。「続けることってだいじだよね」って話になって、25年続けてるマスターとここ何年か創作を続けている僕とでは年数でいうとまだまだだったりするのだが、何かを続けているからこそ生まれる繋がりだったり、縁みたいなものを感じたりして、その何かをしていないと出会えないこともあったりするのかもしれないなと思って、もしかしたらそれは何かを生み出すことだけではなくて、好きな場所に通ってみたりすることで顔なじみになったり、あるいはその場所での言葉に馴染んだり、体が馴染んだりして、行きたいなと思った時とか、逆に行く場所に悩んでどうしようかってなった時にこそひとまず行ってみようかなと思う場所があるのはとても素敵なことだと思った。それはどんな場所でもいいんだろうなと思う。自分の感覚が満たされる場所。何年か鎌倉に住んで、そういう場所が自分にできていることがなんだか嬉しく思えたり、今って以前よりも生活しているなと感じることがあって、生活が楽しかったりめんどくさかったりすることがあって、東京で一人暮らししていた時にはない感覚で、といっても居候したり、誰かと住んでいることが多かったのだけど、いつも決まった量しかたべれなかったワンタンを全部独り占めした時の快感をとても覚えていて、未だにそんなことしたりするんだけど、なんか食べ物を分けるみたいなことが昔はすごく嫌いで「自分の分は自分で食べたい」みたいなそんなのが強かったし、外食しても「ちょっとちょーだい」が嫌いだったんけど、一つのものを一緒にシェアするのってわりかし喜びがあったりして、だけど時折ワンタン独り占めしてるから、誰かと分かち合えるゆとりができるみたいなこともあるよな、なんて思ったりして。

 会話の中で僕は「創作している人、何かを作っている人」なんだなと思って、絵を描いたり、布を織ったりしているって認識してもらってて、なんか最近その場所から新しいところに移行していこうとしている感覚があって、とはいえいろんなことが並行して行くんだろうけど、身体を通した創造性とか癒しとかなんかそんなものであって、なんかウータイとかクラニオセイクラルが気になってるのはそういうところとリンクしそうかなと思ったりしている。そんな感じで本を探して図書館に行ったのだが、見当たらなかったのでヨガの本借りてみた。ヨガの本を借りようと思ってたらフーコーのパレーシアの講義の内容が書かれてる本見つけて、最近活字読めないから読まんかもなと思ったんけど、パレーシアの内容はめちゃめちゃ読めて、スルスル入ってくるから水を得た魚みたいになってる。探しているのは職業や肩書きではなく真理を物語る体や声や振る舞いだったりするのだと思う。朝起きていつももぞもぞとよじれたり、ねじれたり、覆ったりするのだが、ちょっとヨガっぽくやってみようと思って一つの形を意識的にとって呼吸してたら体の通りが良くなって、なんか朝起きたらひとまず10分間ヨガ的時間作ってみようかと思っている。何か習いに行きたくなったりするんだけど、なんか習いたい、学びたいというよりは一緒に何かがしたい、場を共有したいみたいなところが強くて、そのために何かを学ぶことはありなのかと思いながら、とはいえこれまでだって学んでいることや経験はあって、それらが主体性から動き出したらすごく良さそうだなと思う。

 最近やっぱり身体のことに比重がいってて、それって自分の心地よさや気持ちよさの探求だったりするのだけど、身体が感じられる、味わえる身体になっているか、それらを観れる視点を持ち続けられるかみたいなことで、CIもそうだしオーセンティックムーヴメントもそうだしインプロもそうだし、主に出かける時ってそんな用事なんだけど、どれもこれも僕のやってる習い事は身体とか視点を発見するためにやってるのかもしれないし、例えば俳優になりたいとか、ダンサーになりたいとかそういう欲求があまりなくて、それって上手くなりたいみたいなことがあんまりなくて、ただやってる時に味わってること、感じてること、発見してることが楽しいみたいな感じだったりするから、そういう今を味わう力が身についてることがなんかすごく大切だし、それは僕にとってすごく大事で嬉しいことだったりして、だからこれからも続けて行くことなんだろうし、続けて行くから繋がりが生まれることがあって、と言いながら職業欄にダンサーとは書いてないけど俳優って書いてて、なんか書いたら書いたで一緒に演劇をやることが増えたりして、肩書きとか職業とかが欲しいわけじゃないと言いながら、あったらあったでいいこともあるよねみたいに思って、まあなんでもいいべ〜って思える緩みと真理を物語る身体はとても近いような気がして、僕はやはりきっと身体を通して発見していくのが好きなんだろうなと思うた。

 この前もらった山形のさくらんぼプリップリでむちゃうまかった。なんでもないことを物語ることをなんか続けてるんだなって思った。8月は仙台行くことになったのでなんか北のほうに呼ばれてる感じしてる。