いめーじのなみもり

Koji Mizoiの日記帳。

幽体離脱も楽しいねと緩んで進めてるみたいな。

 日曜日は渡さんのワークだった。一言からシーンが始まるっていうすごくシンプルなことを繰り返し、繰り返し行う。なんかそのひとつひとつのやりとりで起きていること、ズレ、感覚の現れとかすごく興味深かった。やりとりを繰り返す中で、怖いとか恐怖とかを感じる瞬間があった。と言ってもその瞬間は気づいてなくて、そのままシーンが進んで行った時に体の感覚が伴わずに言葉だけが勝手に出ていくということがあった。その言葉の羅列を聞くと相手を傷つけるようなことを言っていたり、常識ではやらないようなことを口走ったりしている。その状態について振り返る。その場で感じたのはその瞬間乖離している自覚はあって言葉だけがどんどん溢れて、気づいたら後戻りできないような、どうすることもできないような、より自分が怖いと感じるような現実を目の前に現していたりする。なんかその状態が悪いわけじゃないんだなと今は改めて思ったりして、そういう自分がいること、現れることは別に問題にしなくていい気がした。それはそれでいるんだから受け止めて、そんな幽体離脱できることもある種の才能だよなとか話しそれながらですが、それでも「いつから怖いと感じてたのか?」は大事やなーと思った。多分、自分の経験とかその空間とか置かれてる状況とか様々あるんだけど、怖いと感じること、恐怖を感じることから逃げなくてもいいなって思って、ある意味それらを感じてる姿を見られるのが怖かったりするんかもなって。だけどそういうのも、別に出ていいというか見られていいというか、見せていい部分であるように思えて、見られることが許可できたらもっと楽になって行くのだろうなと思った。感情が出てしまうことが怖いのかもしれなかったり、もはや堂々巡りしそうになってたりしてるんけど、だけどあの時どんなふうにありたかっただろうって考えたら、もっと素直に正直に「この状況がすごく怖いんです、嫌なんです。やめてほしい」って泣きたかったってことのように思った。これはその状況よりももっと前の野球部のグラウンドにいる光景が浮かんできたりもするんけど、そう思ったらもっとちゃんと怒りたかった。「ふざけんな」って言いたかったって出てくる。ちゃんと感情を出したかったってことなのかもしれない。自分の意思表示をしたかったってことなのかもしれない。だけどなんかこれって随分と被害者意識が強いなと思っていて、今の自分はそうじゃないじゃんって思える自分がいるからそれはそれですごく嬉しかったりもして、だけどちょっとしたことでそういう弱さみたいなものが出てくるから、それでも自分の感覚、体から逃げないでいたいというか、もっと味わっていいというか、味わっている感覚を素直に表現していいのだなと思う。体から抜けて亡霊みたいになるってことも好きだし面白いんけど(笑)身体感覚をもっと味わいたいってことなのかもしれない。なんというか不自由なのを隠して自由風に表現しているだけなのは嫌なのだよなっていうことかも。だからもっと感じていることに素直になりたいってことかも。幽体離脱も楽しいよ、なんの話や。笑

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 ほんで昨日は諸々あった演劇の話しが進んだ。紆余曲折ありながらだけど新しい形で取り組めそうで嬉しい。日程は9月5日(日)。明日会場押さえに行く。笑

 話しててだいぶ緩ませてもらったんよな。いろんな外枠を決めてやってみようと思って進めてたんけど、そんなにこだわらなくてもいいかもと思えて、だけどなんか抑えるとこは抑えつつ、一緒にやる人たちのことをもっと信頼できそうで、いい物ができそうなそんな気持ちになれて嬉しい。僕はその場所で物とか人とか音楽とか空気とかそういうものをコラージュしてくようなことが出来たら楽しそう。空間に居ながら空間を作るみたいな。

 来週からミサキドーナツで展示があるんけどだいぶのんびりやってるなー。額装した写真を展示できるのがすごく楽しみなのです。額装するのも自分の気持ちとか、額装お願いしてる方と話しながらやれてるし、なんか色々しっかり動けてるやんね。

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光がきれい。