いめーじのなみもり

Koji Mizoiの日記帳。

芸術と健康とやっぱり音楽と。

 この何日かライブってなんだろうという問いがあって、自分はどんな風に人に伝えたいのだろうみたいなことを考えていて、上手かろうが下手だろうが一生懸命やりたいなって思って、なんじゃそりゃって感じだが、兎にも角にも工藤祐次郎さんのライブ配信「誰そ彼」がむっちゃよかった。


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 小分けに晩飯を食べる。お刺身、焼きそば、カレー、エビとピーマンと玉ねぎの卵炒めなどなど。家の中だったけど夏フェス最高!みたいな気持ちになって、というより夏祭り、子供の頃の夏祭りを思い出したようなそんな気持ちでした。

 下手だからと言う理由でやらないことがたくさんあるように思えた。なんというか下手でも一生懸命やったらいいのだとなぜか今思っている。なんか人前で歌うならギター弾けなきゃいけないと思っているところがあって、一向にギターを弾けるようになる気がしないというか、そこまで熱中も正直していないけど、たまーに触るのは好きで、ちょこちょこやってるのだけど、相変わらず技術は身についていないような気がするのだけど、なにがともあれやらない理由は山ほどあるが、やるなら一生懸命やりたいなと言う気持ちなのだ。どういうことなのだこれは。展覧会とか自分の絵や写真や作品を見てもらうのは慣れてきたけど、歌うこととか芝居することとか踊ることとか、つまり自分自身がそこに露わになることは未だに抵抗しているところがあって、だけどやっぱりやりたいことであるのだろうと思う。現に昨日も渡さんのワークに行って、即興芝居をしてなんだかエネルギーの交流があって、今日はすごく前向きな気持ちで元気である。健康的だなと思う。絵を描くことも健康の一つであるが、体が、声が人目に触れる、自分自身が触れられる、そこで生まれる交流みたいなものも、とても健康につながるように思えた。健康的な、健全な関係を築いてくこと。なんの話だかわからないが、兎にも角にも、やっぱり表現すること、アウトプットすることは健康につながるのだ。快便、快便。

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 そうそう。なので音楽、踊り、芝居、どれもこれもわりかし即興的ではあるのですが、もっと気軽に人前でやりたいなということと、気軽さはあるのだけど一生懸命やりたいなと思って、なんかそういう体験をもっとしてみたいって思ってるのかもしれない。そこに自分が存在していることを現したい。逃げてしまわないように、その場に居続けられるようにしたいのである。内側にある響きとか。だから音楽なのだと思っていて、音楽がやりたいと言うか、自分が楽器そのものに、音楽になりたいってことなのだと思うのでした。

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 今日はnoteにも書いてた。おやすみなさーい。