いめーじのなみもり

Koji Mizoiの日記帳。

ベーコン不在の乱と竜とそばかすの姫の日。

 朝起きるとうだるような暑さ。クーラーはない。だけど風はある、風通しよし。だけど湿気と熱気。保冷剤を首に巻いたりしてしのいでいるが、今日は休暇にした。とにかくクーラーのある場所へ行く。竜とそばかすの姫を観に行った。その前に行ったココスでベーコンとソーセージのピザを頼んだ。どう見てもベーコンが乗っていない。もしかしたらチーズの中にベーコンが隠れているのかもしれないと思って食べてみたらやはりない。もしかしたら見えないくらい細かくして入ってるのかもしれないと憶測しつつ、店員さんを呼んでベーコン乗ってないことの確認とれ、新しいのにしてもらった。「ココス、ベーコン不在の乱」無事に解決。無印で腰回りゴムなし乾き良いパンツもゲットした。

 細田守の映画ってどれもすごく好きで、おおかみこどもの雨と雪がすごく好きなのだけど、今日、竜とそばかすの姫観てて思ったのは「こどもの頃に感じていた悲しさや寂しさ、弱さが描かれている」感じなのだと思った。なので終始だいたい泣いている。なんか響き方がいつもすごい。「あなたのために作られているような映画よね」とmiiさんにも言われるのだけど、本当にこどもの頃に感じてた感覚がそのまま現れているような気持ちになる。だから毎回観るたびに癒される。なんだか大人になるにつれて隠すようになっていった部分が許容されて行く感じがするのだ。別に隠そうとしているわけではないのだが、不都合だと思い隠そうとしたり、明るい人、元気な人とかそういうふうに見られようとして違った仮面をつけてみたりする。だけどその悲しみとか寂しさとか弱さとかがやっぱり僕の中にはあって、それは自分が作る作品にも通じてるような気がしている。この前「展覧会の時の絵しばらく眺めていたら涙が流れてきそうになって、踊りたくなった」とヤさんが感想を伝えてくれてすごく嬉しかった。

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 感じていることを隠さないことなのだろうなと思う。表現はなんでも良いと思う。絵でもいいし、歌ってもいいし、踊ってもいいし、写真にしても良い。演劇だっていいのだ。どれでもいいけど、隠さないことなのだと思う。こどもの頃に感じていた感覚を現したいのだと思う。その感覚と一緒にいたいのだと思う。だけど、もっと大人になって得た感覚もまたいいよなとも思う。だけど根底にあるのはその感覚のようにも思う。だからそこが現れると癒しを感じるのだと思う。どんな形であれ。多分3、4歳くらいの時から抱いていたあの感覚が今もあるのだと思う。癒しに重きをおきすぎなのかもしれない。だけど響きあうものってあると思うのだ。そういうものを作り続けたいし、描き続けたいと思うのであり、なんせ餃子がうまく焼けた。時間が経った餃子はレンジでチンして、フライパンに薄く敷いた油で焼くとカリッと感が戻ってうましなのでした。


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良い休暇が取れた〜!の1日でした。