いめーじのなみもり

Koji Mizoiの日記帳。

散歩と内側から出てくること、そして変わること。

 朝起きてお米を研ぐ。目玉焼きつくってジャガイモ焼いて、ワカメの味噌汁と食べようと思った。結局その場の思いは流れに流れて今もまだお米は水に浸っている20時すぎ。

 軽くパンを食べて散歩に行きたくなる。24sekkiのパンも食べたくてそちら方面に散歩する。起きた時はコクリコのクレープが食べたいと言ってた。結局その場の思いは流れに流れて今あるのは24sekkiで買ったレーズンパンとシナモンロール。買ってすぐにタチンダイでかぼちゃのパンをmiiさんと半分こする。帰って来てピザパン。野菜がたっぷり乗っててうまい。途中で買ったコーヒー飲みながら。

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 ここ何日か体を緩めることに徹してる気がする。とにかく緊張していたり、疲れていたりする。ひとつひとつの出来事に余裕のない反応をしている時も結局疲れているのだろうなと思う。散歩から帰って来てお昼ご飯を食べて夕方まで寝ていた。16時半のチャイムが鳴って、そこからまた少し眠って起きる。夜はあんかけ焼きそば作りたくなったので買い出しして作る。今日は豚肉入れたくなったので、ぶ厚めのお肉投入した。

 何か行動しようとする時にどこかにあるのがもっと安心したい、リラックスしたいだったりする。いろんなことをやろうとするが、日常的にやってる自分を責めてしまう状態から離れたいってことなのかもしれない。確かに、踊ったり芝居したりそういうことで違う側面に向かうこともできるような気がしてる。だけど日常的なつっかかりというか、苦しさみたいなものが今ひとつ抜けていかないと感じることがあり、それはつまり日常の中で緊張状態だったり、疲れが取れない状態だったりする。なんというか何をするにしても疲れてる。体力がないのかもしれないと思うところがあるのだけど、そうではなくて本当はもっと力があり、エネルギーが溢れてたりするはずだと思ったりもする。もともとあった力を取り戻すみたいなことが今集中してやりたいことで、内側、自分の感覚、身体に意識を向けていきたい。どこかで外側のそれらしい言葉や、やりたいことみたいなものを持って来てるだけのように感じてしまう時がある。それが虚しさだったり、虚無感だったりするのかもしれない。自分の中にある感覚とか、湧き上がってくるものとかをもっと発見したい。

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 それって多分、躁状態というよりは、もっと穏やかなものであるようにも思う。興奮してる、意識が上に、上に昇ってのぼせてるようなそれではなく静かに広がってくような感覚。波紋、湖。

 また色々変わって行く、数分後、数時間後、明日起きて見たらまた違う状態だったりする。変化してくことを捉えて、今何がしたいか?今どうしたいか?を、何度も問いかけて、改めて、また思い出して、続けて、そしてまた忘れてみたいな。結局、何かにしがみついているのかもしれない。何かひとつのことを形にしなくちゃと思い込んでるのかもしれない。それも誰かの言っていたことで自分から出た言葉ではなかったりする。誰かの感覚に寄り添いすぎて、自分の感覚がわからなくなることがあって、だから一人の時間を作る、感覚と共にある、身体の動きに目を配るみたいなそう言う時間が必要なのだろうと思うのでした。

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 変化してくことに集中してる。現れるイメージを行き来するみたいな。明日の朝ごはんはお米炊こうかな〜。