いめーじのなみもり

Koji Mizoiの日記帳。

白菜の行く末と織り布から生活を感じること。

 白菜を買ったので昨晩はあんかけ焼きそばにした。4分の1のサイズで買った。あんかけ焼きそばに使うのはせいぜい2、3枚なのでまあまあ余る。さて何を作ろうかと思うて、結局水餃子を作る。最近、白菜がたくさんある=水餃子を作るみたいな脳みそになっている。何がともあれうまいのと冷凍してしばらく置いとけるので、小腹空いた時に食べれるから重宝している。最近のコンビニスイーツはオランジュショコラみたいなのが流行ってるのだろうか。昨日ローソンで食べたら美味しくて、今日ファミマに行ったら似たようなのが50円引きで売ってたので買った。

 昨日から19日にあった即興劇「やわらかなひかり」の動画をちょっとずつ編集的なことをしている。うちうちで使うようものなのでそんなにやらなくてもよいのだが、youtubeに長い時間なぜかアップできないので小分けにしてアップしてる。なんとなくやりたくなってるのでやってる。ビデオカメラが途中で止まってしまったので全部ではないのだが見返してみると面白い。そしてもう10年ほど使っているMacBook Airでは動画を扱うのはちと大変ということに気づく。最近はパソコンを持ち運ぶことがめっきり減ったので、iMacとかでもよいのかもなー。というか今ってiMacという名称なのかしら。でも室内でも移動するからMacBook Proかしら。今ってMacBook Proって言うのかしら。もう10年くらい前の情報で止まってる気がする。「容量がいっぱいです、まもなく満杯です」と来る日も来る日も言われ続けるのだが、タイピングしやすいし気に入ってるのでこれからも仲良くやろうじゃないか。なんか動画もちょっとだけいじるのは楽しかったりする。ソフトを使ったり、ちょっとだけできたら良い。細かくなってくるとあんまりやる気が出なくなる。幅広く、それなりに、それでいてわりかしいい感じに何事もやるのが良い気がする。

 今日は朝から編集作業しながら洗濯やら冬の間使ってた織り布を手洗いする。織物をして何年か経つが、思えば冬が終わると自分で作った布を洗ってまた季節が変わるまでしまっておいたり、インテリア的に使ったりする習慣が出来てることに気がついた。もうまもなく6月なのでだいぶやること遅い気もするのだが、なんやかんやで寒かったりする日もあって、放置されてたのだけど、ここ数日はもう半袖で過ごせてるのでいよいよ洗ったのでした。なんかこう手洗いをして、アイロンして形を少し整えて日陰で干してみたいなそういう一連の動作で季節を感じたのが少し不思議な気持ちだった。鎌倉に住む前はずっと東京だったが、なんかこう確かに暑いとか寒いとかはわかるのだが、ずっと平坦でいつもいつも同じこの繰り返しのようですごく嫌気がさしていた。季節がよくわからなくて、退屈が続いているように感じられた。それよりも感じることが出来なかった。生活がどこにもなかったように思う。だからいつもどこか焦っていて、何かしなくちゃいけない焦燥感に駆られていた。と言いながら、現状ひとつのイベントごとが終わって次の予定が決まってるわけじゃないからまた少し焦りみたいなのが出て来たんけど、自分で作った布を手入れするそういう生活の一部から落ち着きを取り戻すことが出来て、なんだかすごく安心したのだ。

 ほんで織り布がまた買ってもらえることになった。今年2枚目。特に宣伝とか展示とか今年はまだしてないのだが、miiさんがいつもさりげなく宣伝し続けててくれてるのが良いかもしれない。「なんか突然売れるから不思議ですなー」と言うたら「それはあなたが作り続けてるからよ」と言われ、なんだかふむふむと思った。こう、織り布とか何を持って買ってもらえるのが嬉しいのだろう?といつも思ったのだが、なんだか生活がそこにある、よぎる感じだったら嬉しいのかもしれないと思った。もちろん身につけられることもそれはそれですごく素敵なのだが、ある季節が終わって自分なりに手入れをしたりしながら、季節の変化を一緒に感じられる一枚だったらそれはすごく嬉しいことだなって思った。ふと、今の瞬間に立ち返れるようなそんな織り布。

 さてさてこれから絵を描くのと糸の整経の続き。今日はいろんなこと万華鏡スタイルでやってる感じ。これくらいとっちらかってて良いのかも。少しずつ次に向けてまた進んでるような感じもしてる。明日はうみらのオーセンティック・ムーヴメント。来週は柿崎さんのダンス公演教えてもらったので見に行く。終わった後アフターダンスタイム的なのあるらしい。たのしみ。

 自分には何もないとふと思う時がある。だけど創作する時間がいつからか続いていて、そこに戻れることはとても幸せだと思った。手を動かそう、きっと面白いところへ連れてってくれる。また演劇もやりたいね。わいわい。