いめーじのなみもり

Koji Mizoiの日記帳。

言葉にする時期ですが、ぐるぐる同時進行みたいな。

 寝る時だいぶ冷えてきた。今年も間も無く登場するであろうちゃんちゃんこカブリ。寝る時に寒いからちゃんちゃんこかぶって寝る。通称カブリ。

 晩御飯はカレーを作る。最近はスパイスから作ってて今日はココナッツベースのチキンカレー。玉ねぎを炒めてる時ふと我に返って、なんか焦ってることに気がついた。改めて今何がしたいだろうとか、これからどんな風に動いていこうとかそんなことがうごめいていて、それが焦りみたいな感覚になってる。多分うごめいてる感覚を焦ってると言ってる。そんな状態になってることを玉ねぎ炒めながら気づいて、玉ねぎ炒めてる最中は玉ねぎのことしか見てらんないから、だって美味しそうな飴色にしたいじゃないかってことで、だから目の前のことに集中してる。何か作品を作らなくちゃと焦ってたのかもしれない。だけど料理してる時間はすごく集中できていて、精神衛生的に良いなって思った。

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 miiさんが作ったクッションを使いながら、音楽流してゴロゴロする。少し腰が硬い感じがしたので、ゴロゴロと散歩を経てストレッチした。伸びて気持ち良い。痛いじゃなくて気持ち良い。柔らかくする目的じゃなくて気持ち良い。だけど身体柔らかくなると嬉しい。ぐにゃぐにゃじゃなくてもいい。軸のあるふわふわみたいな感じでしょうか。

 今日はしばらく置いてあったキャンパスを進める。塗り重ねて色鉛筆でガリガリする。

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 窓から見える屋根の重なりみたいなところから始まって、くっきりしてしまうと少し居心地が悪く、だいぶぼやけて当初よりは良い気がする。

 なんとなくもう絵を描かなくてもいいんじゃないかって思ったりもする。ちょっと前はもう織らなくてもいいんじゃないかって思ってた。だけど結局また織ってるし、絵も描いてる。そろそろやめてもいいんじゃないかと思いながら、やめられずにいて、だからといって描いてない時期があったとしても、どこかでは絵を描いたりしてるのだろうと思う。

 散歩しながら「絵は自己否定の使い道を与えるために描いてる」みたいなことをふと思った。自己否定する力を絵に向けるってことだと思う。自分自身を否定してしまうのではなく絵の批評に使う。絵には厳しくしてよい。それが自分の目を肥やすことにもつながるかもしれない。多分、絵そのものへの批評というよりも、今目の前にあるこの形跡は感覚が活かされてるか、表面的になってないか、説明的になってないかという批評。そうであるならもっと感覚を用いなくてはいけないし、自分の中へ潜らなくちゃいけない。

 だけどそれがどれほどできているのだろうかとまた否定したくなったりする。絵を描くことについて、なんだか一周してしまって、同じところをぐるぐる回ってるような感覚なのかもしれない。そういう意味では、演劇とかダンスは新鮮で試したいこと、やりたいこと、体が使えることがすごく健康的で良かったりする。織りは布が生まれることでそれを形にしてくれる人がいるから、楽しみだったりする。写真は散歩を豊かにしていたりして、心が動いた瞬間をとどめておくみたいなそんな感じなのかもしれない。最近は書く方に意識が向いてる。言葉にしようとしているところがあり、多分これまで動いてたことを書こうとしてる。一区切り的に書いてる。今日もまだ区切りがつかないからこうやって書いてるのかもしれない。

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 言葉にする時期みたいな。結局全部同時進行でぐるぐる動いてる。