いめーじのなみもり

Koji Mizoiの日記帳。

サンダルで行こうかと思っている、ぽつぽつと。

 なんだか雨が続くらしい。眠たくなったり、すこしぼんやりとした感じになる。その反面、元気に精神活動を送っていたりしてどっちもあってどちらも移り変わって、気分も天気みたいなもので、気圧の影響あるよねと思うのでした。

 演劇的な時間を意識的につくるみたいなことをしている。

 演習ってことにしているのだが日記みたいな感じでなかなか良いなと思う。日記っていう形式がとても合っているように思う。なにか見せるためのものというよりは、いつまでもなんなのかわからないままの記録。反面、こうやって自分の欲求をみたすことで、変なこだわりとか執着がなくなって、どんな形であれ楽しいものがやりたいと思うような気もする。固執していただけなのかもしれない。頑なになってるときは、少しほぐしてあげる必要があるのかもしれない。だけど患部に直接マッサージするというより、他のところを動かしてあげる。問題や不具合を治そうとしなくてよくて、他の部位と連動していたりして、動かしてない筋肉があるみたいな、固まってる筋肉が他にあって、そこを動かしてあげると、症状が和らいでるみたいなことな気がする。なんのことだって感じではあるのだが、嫌な感覚が停滞していて、それをある程度感じたら、あとは動くだけなのだと思った。他の動かせていない筋肉がある。それが今回の演劇の演習日記みたいな感じかもしれない。

 やってみたら音声がうまく録れてなかったりするので良いマイク欲しいなとか、映像の撮り方も手持ちであると面白そうだなと思ったりして、いよいよスマホ買うか?と考えたりする。

 特に何かのプロなわけじゃない。そういうものになりたいとも思っていない。例えば画家になりたいわけでもない。だけど絵を描いてる。だが素人のままで良いとも思っていない。ある程度が良い。良い感じが良い。それがどこなのかいつもわからなくて、一体何してるんだろうとなる。いつもと言ってるがいつもな訳じゃない。定期的にそういう周期みたいなものがあるのかもしれない。飽きてるのかもしれない。だけど淡々と描きたいとも思う。何かになりたいわけでもない。ただ元に戻るみたいなことは目指してるかもしれない。外側には正解はないだろうなと思っている。自分の中にすべてあると思っている。絵に関しては特にそうかもしれない。だから習いに行ったりしない。自分の中から見つけようとする。果たして何か見つかったのだろうか?と疑問に思うのかもしれない。結局いつもなにも見つかっていない気がする。評価や批評する目も必要だと思う。だけどそんなことよりも淡々と日々描いているのも良いなって思う。

 何か答えを導き出したいわけじゃないのかもしれない。今ある感覚ってなんだろうか、選んでいる色とか線とか、今あるものだろうか?そんなことを思うのかもしれない。そんなこと言いながら明日は初めて川村記念美術館に行くのでむたんこ楽しみである。来週の演劇の本番前に栄養補給したいなと思った。雨みたいだけど、雨の美術館も良いなって思う。雨だからもうサンダルで行こうかと思っている。でもサンダルで怒られないだろうかと不安になる。場違いなやつと思われるのではと心配になっている。だけどサンダルで行こうと思う。雨が降ってたら。

 絵の具を使って描いてもあんまり喜びがない時ってあるのかもしれない。そんな時に折れた鉛筆の芯とかで書くのが好きだったりする。それでよかったりする。ぽつぽつと。