いめーじのなみもり

Koji Mizoiの日記帳。

変わらない小ささのまま流れてくみたいな。

 なんだかよく眠った気がする。夢なのか思考なのかわからなくなって、頭だけが膨張していくような、だけど頭の枠からは飛び出ることができなくて破れてしまいそうなそんな風なまま眠ってて、うごめいているものを止めようとすることもやめて、ただ流れてくるまま言葉や思考や映像や、なんだかわからないものがそのまま流れていて、見ていて、そうやって眠っていた。外からは家の取り壊しの工事の音がしていて、あたりに音が散らばってるのだが、そういうものも確かにありながら、どこかもっと遠くにあるような音響になって、どこか切り離されていて、工事の音とパソコンから流れてくる音とが入り混じって、そうやって目を閉じて、体にいるみたいな時間があった。2時間ほどの時間があって、その時間に居たことになんだか喜びがあって、ただ自分の中に居たこと、共に居たこと、共有できていたことが喜びだったのかもしれない。

 何かをやろうとしていることはそんなに大げさなものではなくて、もっと小さいものであって、そのままの小ささで良いのかもしれない。それが手を離れて誰かに届けるにあたって、大きくなったり、大げさになってしまったりして、最初のままではなくなってしまうことがあって、もっとそのままの状態を保ったまま共有することができたらいいなと思って、それは迷っている最中なのかもしれないし、何も決められずにいるだけなのかもしれないし、いつも結局は考え続けてしまうことなのかもしれないが、それでもそのままの痕跡みたいなものが現れては消えて、手元に残ったり、またはそうじゃなかったりするのかもしれないし、それは記憶であったり想像であったりするのかもしれなくて、それらが無形のまま記憶として、体感としてその場所に現れる経験をもっと積み重ねたいみたいなそんなことを思ったりもして、それって結局演劇という形のなのかもしれないし、じゃあ即興で行うそれってなんなのだろうかと思ったりもして、そこに言葉はあるのだろうか?なにがあるのだろうか?と考え込んだりするのだが、ただ人が集えば良いと思っているわけではなくて、音楽がはじまりであったり、体がはじまりであったり、あるいは絵とか布とか、そういう日々の痕跡みたいなものが始まりなのかもしれない。こういうことを語ることを、どこかで避けているところがあるのだが、だけど今はなぜか書き始めていて、そのことに耳を傾けてみようと思っている。

 少し前に演劇のイメージというかタイトルが湧いて、それは即興で行われる演劇で、台本などは用いないのだが、じゃあ自分にとってその台本とは、演出とはなんなのだろうと思った時に、日々の絵であったり、布ものであったり、音楽であったりが、その場においての台本であり演出であり、そういう類のものになっていて、それは言葉を用いないもので、セリフを用いないもので、感覚のままの言語であって、それらを用いて演劇が生まれるんじゃないかってそんなことを思っている。その感覚のままの状態を用いて、身体、発話があって、それらは内側から生まれるものであるのかもしれないし、自分にあるものを使っているのかもしれないし、だけどそれはただ通り道になっているのかもしれなくて、そういう状態っていうのが常に常に、刻々と変化して、今どこにいるのか完全に把握できないまま、それでいて何かを知っているような、わかっているようなそういう視点みたいなものに基づいて、それでいて何もかもを破壊してしまったりして、そんなことがありながら生み出される無形の瞬間を作りたいと思っているんだろうなって。

 それはなにかとても面白いことのように思うし、じゃあすべての即興や演劇が自分にとって面白いのかというと、そういうわけでもなく、好みはあるにせよ、なにがあってもよいにせよ、それを自分がやることでそれは自分にとって面白いことなのか?求めているのか?は大切なことのように思って、何かを選ぶ時、選択する時に、なんでも良いってこともそれはあるのかもしれないし、そうやって選ぶこともあるのだが、なんでも良いってことはそんなになくて、今は決められない時にそう言ってたり、決断ができないような時になんでも良いっていってるのかもしれなくて、そりゃなんでも良いって日もあるからいいんだけど、こと自分が関わるものに関してはなんでも良いと言えないこともあるのだろうし、なんでも良いからやってみようと場数を大切にすることも一つの決断なのだろうし、とはいえ、自分たちで、空間を作って、そこから生まれる言語や身体から現れることや、期待とか不安とかを含めて作りたいみたいなことはやっぱり変わらずあるのだろうなと思って、何がともあれちょっとずつだが次に進んでいるのだろうし、動き始めているのだろうし、決断できていない、なんとういか迷いの中にいることも、その大きさも、何か変化させてしまうことなく、そのままを届けられるようなそんな時間を重ねていきたいみたいなそんなことを考えてる。

そのままの大きさというよりは、小ささ。