いめーじのなみもり

Koji Mizoiの日記帳。

風は涼しくなってきた気がしてるのと、ようやっと現像した写真。

 風は涼しくなってきた気がしていて、だがしかし暑くて汗だくではあるのですが、なんとかやってるぜ、クーラーなしでやってるぜ、クーラー浴びにコンビによるぜみたいな感じなわけですが、扇風機3台回しと保冷剤常備で昨日はオンラインで渡さんのワークを受けた。オンラインとても久しぶりだったのだが楽しかった。久しぶりに小倉のAさんに会って、ずいぶん久しぶりだなとおもって、Facebookの写真見てたらAさんと一緒にほおばる会したの今年の春だったみたいで、あれ去年の出来事だったとおもって、なんか色んなことがあったような気がして、だけどそんなに何もないのかもしれないけど、これから先また色んなことがあるし、予定があるし、作っているものがあるし、なんか懐かしいとおもったらまだ数ヶ月前のことでめっちゃ最近じゃんかみたいなそんな気持ちになった。

 渡さんのワークを受けた次の日って結構気持ちが軽いというか、言葉が出やすいというかそういう感覚がある。留めてしまわないみたいな、もっと言えば、人のことを昨日より思いやれたり、想像したり、優しくなれそうな、そんなことができそうな気持ちが湧いてきたりして、なんて健康的なんだろうっておもったりして、即興で芝居をすることの目的は本当にさまざまあって、もちろん本番に向けてとか、役者としてとかいろんなことがあるのだろうが、僕の中でいつも嬉しいな、楽しいな、面白いなと思うのは、日常の中の感覚の変化だったりして、あ、昨日と違う気持ちや感覚があるなー、を見つけられることが、その視点と出会うことが喜びなのだと思う。

 それで春頃の記憶を探していたのはようやっと春頃に撮ったたけのこ掘りに行ったあたりに撮った写真を現像したからで、その辺りって何してたんだっけか?みたいなのをふとおもって、なんか思い出してたみたいなことでして、それでその頃ってデジカメが壊れてたから、そんな時は写ルンですだろ?みたいな天の声があって、といってもUが言ってて、そっかじゃあ買ってみるか〜とおもってコンビニ探し回って、ファミマで見つけて買ったんけど、残ってた一台を我先にと手を伸ばして買ったのだけど、撮っている感じがやっぱりデジカメとは違くて、デジカメだとなんか一枚フィルタをかぶせるみたい、イメージの方へ行こうとしている感覚があって、それがデジカメで撮る時の自分の感覚と一致している感じがしたからそうしていて、そのカメラを覗き込んで、目の前を写すみたいなことが、はて?これでええんか?どうなっとるんや?みたいなちょっとわからんなーと言った感覚があって、今となってはデジカメあるから、いっときしのぐために楽しめてよかった〜と現像出さずに随分置いてあったのだけど、いざ現像出してみたら、思いのほかよくて、何が良いのかって、なんか目の前にあるものの、外側から受け取ってる感覚を追体験できようなそういう瞬間が写ってる気がして、ああ自分のこれから撮りたい写真ってフィルムカメラだなとおもって、調べてて、ローライフレックスむちゃ気になって、川内倫子さんの文章読んでたら、人にカメラだとあまり気づかれないんです、みたいなことが書いてあって、それめっちゃいいなとおもって、カメラを構えた時に、何か変わってしまうみたいな感覚ってあって、それよりも誰にも気づかずに撮ってたいみたいなのがあって、ローライフレックスいいんじゃね?ってなってるんだけど、フィルムカメラならなんか人を写しても良いかもっておもって、デジカメで撮る時ってあんまり人を写したいって思わないんだけど、フィルムカメラで見る人はなんかちゃんとそこにいて、僕の中にあるものがちゃんとそこにいる感じがして、これなら人がいても良いかもってなってて、なんかカメラというか、写真を撮ることって楽しいっすよね、ってなってて、なんか現像した写真見て外に出た時、今までより光を見ている自分がいたり、フィルムカメラで撮った時のイメージが湧いてくる感じがあって、そんなだったので、今週末から仙台にいくので、それ用に写ルンです買い足したんです、です。

 昨日ワーク受けて、なんか言葉を発することが楽になって、そうなると踊りたい、体使いたいってなるし、そうなってダンス行ったりすると、体が軽くなって、散歩したいなってなって、散歩してると撮りたいものに出会うからカメラを何かしら持って歩いてるし、そうしてるとなんかいろんな瞬間に出会って、なんだか絵が描きたくなるし、それは日課みたいなものかもしれないし、そんな風にしてなにか自分の作品を見てもらう場を作ろうとして、企画するし、それは大抵演劇という形態、演劇なのかわからないけど、そういう形態を最近はとっているし、と言いながらも展覧会もやろうとしていて、そうなってくると織り布もうちょっとあるといいなとおもって、それは空間にあるといいなっていうことで、織物やる気になってくるし、なんか一貫性ないようだけど、良い感じで循環することが大切で、何してても結局日々の変化してる感覚に気づけることが嬉しいんだろうなって思うのでした。