いめーじのなみもり

Koji Mizoiの日記帳。

一応は為にはなったらしいことと創作のバイオリズムみたいな。

 最近なんだかよく道を聞かれる。老若男女聞かれる。今日は子供の群れだった。多分、修学旅行だと思う。「あの高徳院ってどっち方面ですか?大仏のあるところ」と聞かれる。「えっと、この道ずっとまっすぐ行くと着くよ。20分くらいかな」と教えてあげる。複数人の子供たちが「ありがとうございます」と言っているその中に一つだけ不思議な文言が現れる。「一応為になりました!」となんか複雑な返答が混じっている。一応ってなんだ。どういうことなんだ。小学生の言葉に困惑するぼく。一応ってことは、今の説明だと情報がたりてなかったってことなのか。どういうことなんだ!!!と、焦りと困惑に襲われ、なんかよくわからない若干の心のダメージを喰らう。「いや、だけどきっとうまい言葉が出てこなかったんだろうな。まだまだ小学生。とっさの言葉が不思議な文言になることだってあるじゃないか。周りの子達はありがとうって言ってたし、理解できたんじゃないだだろうか。きっと気の利いたこと言おうとしてくれたんだろうな。しかし"一応"ってなんや。どういうことなんや。声を大にして突っ込めばよかった。なーーーにが一応や!」と盛大に盛り上がった僕のツッコミ魂。

 昨日はダンススペース空さんで踊ってた。子供と踊ってて、即興で踊る時間になった時「いつも同じ動きしてるからさ、違う動きしなよ」と、とある子に言われる。キツネみたいな動きしたらわりかし気に入ったようで、即興で入れ替わり立ち替わり順番に踊っていたのだが時折キツネ化した子供に威嚇される。威嚇されながらも僕が少しだけ出した動きに自分のリズムやステップを加えて即興で動きを作り出せるってなかなかにすごいなーと思ったり、その辺りの面白コンビネーションに全く動じず大人な感じであしらいながら自分の踊りを続けている子もまたすごくて、だけど時折気を使ってなのかキツネステップ入れ込んでくれたり、なんだかとても刺激的な時間だった。なんか即興で踊るって今楽しくないと出来ないだろうし、そこに目的がないから、その無目的な時間を存分に楽しんで踊っている子供たちがとてもよくて「はて僕はどこかうまくやろうとしてないか?」とか帰り道反省しそうになったのだが、いやいや、何がともあれめちゃめちゃ楽しかったな〜と思って、ひとまず無意味に罰することをやめたのでした。そんなわけで少年よ、一応でも為になったならよかったじゃないかと気を取り直してきた今である。

 飽きてきたなーとなんか出てきて、絵を描いてから散歩してる時にはっきりと「いやぁ、飽きた!」と心底言っててなんだか笑けてきて、絵を描くことに飽きたというか、今の生活スタイルに飽きてきてて、今の感じで創作することにはもう満足したんだなってなんだか思った。作り続けるために自分の形を変えてくのは良いことのように思って、どちらかというと演劇とかダンスしてる時が今はとても楽しいし、熱量が上がったりして、じゃあそれだけに没頭しようとすると、何か一つに絞ろうとしてまた窮屈になるから、全部が全部心地よく、今の自分に合う感覚を探していければ良いなとなんだか思った。絵に関して言えば、絵の具を使って描かなくてよくて、ただ鉛筆だけで描けたらそれだけで満足だったりもして、無理に絵を描こうとしなくて良いんだよなと思った。今は線が引きたいし、それだったらすぐ出来るが、絵を描くことに飽きてしまったわけではなく、なんかこう描くための素材が自分の中に今はないのかもしれないなと思って、それが生活と直結しているように思えて、もっと外に出たいみたいな感覚があるし、作ってきた生活リズムみたいなものも変えていきたいなと思った。

 思えば絵を描くことで自分を救い出そうとしてて、今だって何もかも嫌になった時とにかく誰にも会わず絵だけは描こうみたいな逃げ場にしているところはあるし、それが安心材料でもあって、だけどここ最近の感じは、人と会うこと、何かすることが苦痛で仕方なかった時期みたいなのはとうに抜けていて、とにかくぐちゃぐちゃになってしまっていた自分の内面を使って絵を描いていたから、今はそれがだいぶ消化されてきていて、じゃあ何を元に絵を描くんだ?となってるのかもしれず、何もなくても描けばいいかとも思うが、何もないなら無理に描かなくても良いかと思ったりもして、とはいえなんでもいいから手を動かすことは必要で、と今は言い聞かせようとしているのかもしれず、その動きみたいなものが手だけじゃなくもっと実は大きくてだから踊ることの方が今は感覚的に一致している感じもして、とか考えて散歩していたのだが、季節によるのかもしれないなと思って、夏に向かう時って絵に向かいたいかと言うと、毎年そうでもない気がしてきて、秋から春にかけての方が自分にとっての創作の材料が日々ある気がしてて、じゃあ夏はとにかく体動かす量を増やしたいなとか思って、それでいてもっと涼しいところがいいなとか願望が出てきて、だからこれからの季節は家での創作を続けるための生活を作ると言うよりは、外に出て、身体動かして、それでいて涼しくて、空気が軽やかな場所で生活しつつ、スケッチブック片手に絵は描きつつ、また秋に向けての創作の蓄えをして行く時期なのかもしれないとなんだか思った。

創作のバイオリズムと次の季節に向けての蓄えみたいな。