いめーじのなみもり

Koji Mizoiの日記帳。

2020/04/24 no3

 50分ほど踊っていた。踊っていたといっても振り付けがあるわけでもなく、ただ寝そべって呼吸したり、部屋を薄暗くして、自分の一番好きな明るさで、落ち着く明かりで、音楽を流して、ただ赴くままに体と一体になる。踊るといいながら瞑想みたいな感じなのかもしれず、どこからが瞑想でどこからが踊りなのか区切ることができるのかわからない。ただ、家の中で踊るって基本的にしていなかった。無性に動き出したくて動き出す時はあるけど、ちゃんと時間を取るってことはしていなかった。いつも踊る場に行ってしかしていなかったが、いざそういう場がなくなると体がウズウズしてくるから、やらざるを得ない。なによりいま一番欲していた時間だったようにも思えるし、社会で求められる体の動きだけしているとどうも居場所がなくなって、どうしようもなくて、例えばイライラしたり、モヤモヤしたりそういう感覚が増してくる。

 今、外出自粛になったから家でやっている。先日、Yasukichiさんの呼びかけで、オンライン上でもなく、ただ各々が各々の場所でスモールダンス、スモールコンタクトの時間を作ろうってFacebookでの投稿があって、その時間がすごく良い時間だった。それで時折、家で踊る時間を作るようにしている。踊っているのか瞑想みたいなものかやっぱり定かじゃないけど、心地よい時間が流れて、今日はスパークリングワイン飲みながら踊った。家でも出来るじゃないかって思うと、なんでいままでやらなかったんだろうって思ったりもするが、今やっとその良さに気づいたのかも知れないし、その状況にならなきゃやっぱりやらなかったりするから新しい発見があって面白い。

 

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 今日は成田護さんの音楽聴きながら踊っていた。気持ち良かった。これから踊る時間というのも家の中で意識して作れたらいい気がした。絵を描く時間、文章を書く時間というのは長いこと作ってるけど、踊る時間っていうのは家ではあまりないことだった。だけど、やっぱり瞑想のような時間が必要で、ただ修行的な瞑想はどうも集中力もないし出来なそうなのだけど、踊りながらなら、何か近づけそうな感じがしてる。例えば宇宙の意識なのかもしれないし、自分を超えた大いなる存在のようなものかも知れないけど、僕がそう言い出すとなんだか滑稽にも思えて、だけどそういうことなんだけど、もっと体の感覚というか、動きというか、響きみたいなものをこの肉体で存分に味わいたいのだと思う。

 

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 もっとなんでもないことをしたいというか、なんにもならないようなこと、無意味に思えてしまうようなことを徹底してやってみたい。絵ですらない絵を描き続ける、絵を描いてしまうと途端に嫌になる。だからそういうことからもどんどん離れる。逃げ出してるみたいだけど、意思表示であるようにも思える。思想なんてあるのかわからないけど、意志はあるように思える。

 

note.com

 今日はnoteにも書いた。「コロナと肖像」ってタイトルで書いてる。これも日記みたいなものかも知れないけど、語り部が違う。そういうのはnoteに書くことにしてる。今日散歩しながら思ってたけど、結局書くということに至ってしまう。何か書かずにはいられなくなってしまう。これはなんなのだろう。かといって、それを取りまとめる気もなさそうで、思うように書いてしまう。なんでもない日記という形態が好きなのかもしれないし、これなら思う存分書けるのかもしれないし、これでいいのだろうなって思ったりする。