いめーじのなみもり

Koji Mizoiの日記帳。

感謝が溢れてる時の身体感覚とか、自分さんへの問いかけとか。

 昨日はうみらのオーセンティック・ムーヴメント。すごく良い時間だった。自分の気持ちとか感覚を焦らずに言葉にできる。いろんな国から参加して、普段だったら言葉がわからないからと言って閉ざしてしまいそうになる気がしたけど、この場はそうじゃなくて、交れてると言う感覚が嬉しくて涙が出そうになった。感謝とか手放すをテーマに話していたこともあるのかもしれない。パッと思い浮かんだのは実家の引越しというトピックなのだが、溢れて来たのは目の前で行われてたやりとりとか意識とか身体から生まれるムーヴメントに出会えること共に時間を過ごせていると言う感覚、なんだかそう言うことへの感謝だったりした。

 感謝が溢れでるとき、その瞬間の身体に起こる鳥肌が立つような感じとか、涙が溢れそうになるあの感覚はまさに溢れてて湧き水状態で、その時の身体感覚、湧き上がる、溢れる感覚が僕は好きだし、その瞬間に立ち会うことが喜びなのだろうなと思う。

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 さなぎから変容して行く。そんなムーブメントがあって、自分がそう思ったと言うよりその言葉から自分の変化というか、意識というか、言葉が加わって自分の言葉として受け取り、今を象ってくみたいな。最近なんでか海が好きで、冬だから人があまりいなくて良いのかなと思ったりして、山と海どっちに散歩に行くかで海を選択してる自分がいる。浜辺でしゃがみこんで波をずーっとみてる。音があって、微妙に揺らいでる体の感覚が心地よくてしばらくそうしてる。広がってる感覚があって、その広がりと今マッチするのは海だったりして、とか言いながら今日は山の方に散歩に行こうかなと思う自分がいて、結局その時の気分次第だったりするのだけど、昨日好きだから、今日も同じくらい好きなのかわからないから、自分さん、自分さん今日はどうしたいですか?と神田橋條治先生的に問いかけてみるのがやっぱり良かったりする。背中に当たる太陽は心地よいですから。

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 子供時代を喪失したような気持ちになって、それでいて自分の中に居場所を作る。自称建築家的な仕事。内面の建築。心地よい環境を作る、整えるみたいな。「自分の中の幼さを成熟させていくこと」が僕のテーマなんだっていうのがなんか昨日言葉になり嬉しかった。やってたと思うんだけど、そういうことかみたいな、通りが良くなったみたいなそんな気持ち。良い歳の取り方して、良いじいさんばあさんになろうが最近の合言葉だったりする。

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 居心地の悪さも含めて自分だったりして、それらも許容してく。その中で自分の感覚を象ってく。自分さん、自分さん、今何を感じていますか?